浦崎町道越の厳島神社(うらさきちょうみちごえのいつくしまじんじゃ) Urasaki Itsukushima Shrine
以前、三原の海中鳥居のある稲荷神社のことを書きました。今回、尾道で同じような鳥居のある神社があるのを知ったのでさっそくお詣りしました。神楽殿に掲げられた祝辞の文が泣けます😭
尾道とその東の松永湾一帯には厳島神社がたくさんあります。ここはそのうちの一社です。
目次
【御祭神】
伊都岐志麻姫
【嚴島神社への道】
国道2号から広島県道47号へ。数キロ走ったら県道389号をまた数キロ? セブンイレブンのある三叉路を曲がったら今度は365号を1キロ少々で海沿いをしばらく走ります。海から分かれて左に曲がったら1キロいかないくらいで浦島漁協の建物がある左へ曲がります。真っすぐな道に神社が見えます。
グーグルマップで案内させて問題なく着きます。国道2号からの道はセンターラインの無い所もありますが車が普通にすれ違える広さはあります。何も心配はいりません。
【車椅子使用の方のための情報】
境内へ車で入れます。神楽殿裏までは行けますが、そこから一段高くなった所に祠が集まっているために石段になっています。坂はないのでここまでです。
車椅子の目線だと鳥居は上の方だけちょっと見えるかどうかだと思います。でも鳥居正面に階段があって切れ目があるから鳥居は一応見えます。でも転落防止の手摺と石灯籠があるのでそれ越しになります。
【境内の様子】
嚴島神社社頭
神楽殿
神楽殿から見た鳥居
海中大鳥居壱
海中大鳥居弐
海中大鳥居参
灯籠の穴から鳥居を見るといいことがあるとかネット上に書かれてありました。直接お詣りできない方のために覗いた写真を貼ります。
【お詣りをおえて】
海沿いの直線部分に神社はあって解放感いっぱいでした。陽がさしている明るさ以上に軽い感じが強い神社です。海からの力が境内まで満ちていると思います。
境内はゴミも無く、お供えのお酒が宮にあったりと近所の方がお世話しているようでした。
最初に書いたように当時の代表の方が書かれた文章が泣けます。戦後、神社はどうなるかわからないという時期がありました。その辺りは神社本庁設立の経緯を調べていただくとわかります。
結局は神社は残されることになって今に続きましたが戦後すぐに宗教観念が薄れて社寺を軽視するような風潮があったようです。
この文は、そうした世相への嘆きと同時に、混乱期が過ぎて新たに出発する日本への期待、自分達の神社や郷土への愛に溢れています。自宅に帰ってきて写真をじっくり見たのでお参り時には気がつきませんでした。気がついていたら泣いていたかもしれません。令和の世では完全に不審者です。
神楽殿で道路側からはよく見えませんが、嚴島神社の宮を挟んで左右に祠がありました。向かって左は白狐像が納められていたので稲荷だと分かります。右はわかりません。
今回は鳥居に気を取られて社本体の気だとかは感じていません。すっかり忘れていました😅
鳥居は干潮時は階段を降りて下の砂浜から眺めることが出来ます。裸足になってのんびりしました。すっかり生き返った気分になりました。満潮で海面から朱の柱が立っているのもいいですが、干潮ならではの良い点ですね。
大きく立派な社殿はありませんが海(の交通)の神らしい気はあるいい神社でした。