ほわほわ神社生活

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神社が暮らしの中にあるおっさんのちょっとだけ変わった日常です。主に岡山県広島県の神社巡りをしています。神社巡りの記録や神社のことで思うことを書いています。

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今年もやってくるおにぎり🍙天国2024

新米はあるが新嘗祭までは食べません。別に食ったからといってバチが当たるのでもないです。なぜするのかといえば、日本人に生まれたので今回の人生は日本のことでできることはやって帰ろうというだけなのです。それまでは古~い米にもち米を混ぜて美味しくいただきます😋

 

収穫祭はどこの人も古代から行ってきた祭りですね。祭りは皆が集まるもの。あえて特別な祭りの日を待ってから食べることで、その年の収穫を大勢で食べる共通(共同)の体験となります。皆で一緒に釜で炊いて食べなくても、その地の民がそれぞれの家庭で喜びの気持ちを発するのも皆でです😊 今は他の家庭の様子を知りたければSNSでわかりますね。

その皆での中に神様やご眷属様も含まれるのがいいなと思って、神社におにぎり🍙をお供えに行くことをこの五年ほど続けています。過去記事(昨年分)を貼ります。

 

a-wi.hatenablog.com

a-wi.hatenablog.com

稲荷神社が氏神様な方は、お狐様🦊も油揚げばかりでは飽きてしまっているかもしれませんから、たまにはおにぎり🍙などどうでしょうか?

 

始めた頃は大中小のおにぎり🍙x神社数を一度に用意してお供えに行き、お詣りしたら次の神社までに備えたおにぎりを食べていました。三社くらいで腹がたぬきさんになって終了。残りは持ち帰っていました😅

 

一昨年くらいからは二度に分けて自宅から見て東で一日。別の日に西に。これなら最後まで美味しく食べられます😋

 

すると、最後の米を飲み込んだ時自然に「神様、ご馳走様でした」となるのです。

 

飯は後天的な命の元です。何を食べるかは大事ですけど、どんな思いで食べるかも同じくらい重要なことです。

湯野神社(島根県仁多郡奥出雲町亀嵩1284)

無くなったはずのメモがみつかったので【おまいりをおえて】を一部書き直しました。

 

遠くの県へのお詣りは基本的に、広い国道県道沿いか車が何とかすれ違える道を少し進んだ先にある神社と決めて探します。トラブルで帰宅できなくなったら困るからです。こちらの湯野神社は国道沿いにあり、杉の参道等に惹かれました。砂の器は昭和生まれの方はよく知っている小説(映画)かと。そのロケ地ということもあってお詣りしました。

#観たのがかなり昔のため、神社が登場する場面は覚えていませんが😅

 

これを書いている途中に調べてみたらなんと、50周年記念で一日から二週間限定で無料公開中でした! お詣りは6月で、書く時間がなくてやっと昨夜取り掛かったところでした。なんという偶然。

https://www.youtube.com/watch?v=VvjS0LBp0BY

神社のシーンは1時間51分くらいからです。時間に余裕があれば最初から観るのをおすすめします。

 

目次

 

【御祭神】

大己貴命 少彦名命 邇邇藝命 事代主命 三保津比賣命

 

大年神 御年神 若年神 香々背男命 素戔嗚尊 大日霊貴命

國常立命 國狭槌命 豊斟渟命 武甕槌命

#二行目からは合祀された神。神名表記は湯野神社公式サイトにあるもの。

【御由緒】

 

 

上の写真は社頭にある沿革碑の拡大です。元の形は社頭の写真を。鳥居とそろいの形になっているありそうでないものでした。

湯野神社沿革碑 | 資料館 | 【公式HP】湯野神社|奥出雲町亀嵩

碑の文に加筆したものが公式サイトにあります。こちらの方が当然ですが読みやすいのでリンク先へどうぞ。

【湯野神社への道】

国道432号を奥出雲町三成から8キロほど北東に進んだあたりにあります。

道の駅酒蔵奥出雲交流館の案内標識を過ぎたら左側に気をつけていればナビ無しでも問題なくわかると思います。北側からだと道の駅を過ぎてから400メートルもありません。

 

社頭は道が広くなっているので車をここに駐車したくなりますが、湯野神社には参詣者駐車場があります。鳥居に向かって左側に車が通れる道があります。境内への自動車参道ではなく普通の道でした。

ここを進むと約100メートルで左に駐車場です。

駐車場看板

上の看板少し奥で別れる道(これが自動車参道らしいです)の入り口にある案内看板

駐車場とわかるようにしてあるのは遠方から来る者には助かります😃 記憶がはっきりしないのですが、社頭にこの案内はなかったような? もしあればもっとスムーズに駐車できるかもしれません。

#もしあったのに私が見落としていたのならお詫びしますm(__)m

【👨‍🦽車椅子使用の方のための情報】

下の駐車場から社殿への道はそこそこ急なものですが押してもらえれば上がれると思います。ですが、上に貼った写真でわかるように駐車場の表示があるのですから、車でないとお詣りが難しい方はありがたく上がらせてもらいましょう😌 

 

社殿のある土地は大きな段差はありません。車椅子で拝殿前に行けます。境内社群は本殿横で一段高くなった所にあります。手前からでおまいりは問題ないと思いますが、並んだ石がどの神を祀るものか書かれた白い看板が読めないと困るかも。目が悪くないのであれば読める大きさの文字だと思います。

 

随身門や土俵のある一段下の土地には自動車参道の途中から行けたような覚えがあります。写真は上から撮ったものです。

湯野神社は車椅子の方もお詣りしやすい神社でしょう。

 

 

【境内の様子】

湯野神社社頭

二の鳥居と参道

二の鳥居前から一の鳥居を

随身

拝殿前から見る随身門と土俵

拝殿

本殿

社殿全景

拝殿前

境内の裏の方から横へ上がる参道上にある鳥居

本殿向かって左側にあるたくさんの石碑

案内板

本殿向かって右にある境内社1(恵比須神社

境内社2

境内社3(玉作神社)

土俵(本来の四本柱で屋根を支える形の土俵は神社に今も残されています)

神輿殿

狛犬(一の鳥居後ろ)

狛犬(二の鳥居裏側)

狛犬(参道だったかと)

狛犬(拝殿前)

狛犬(裏からの参道を上がった鳥居のそばに小さめなものが)

砂の器の舞台であることを伝える看板と記念碑は社頭に二つ並んでいます。

 

【おまいりをおえて】

映画のロケが行われた神社は各地にあります。以前お詣りした大谷八幡神社もそうでした。探せば自分(皆さん)の住む近くにもっとあるのかもしれません。私はお詣り後に鑑賞(昔観たのは忘れているため)の形になりましたけど、逆の方が楽しいのは間違いないと思います🙂

 

湯野神社は私の感覚では二の鳥居から軽い気になって柔らかさも同時に増しました。その感じは参道を歩く間続いて、随身門を過ぎてさらに軽く感じました。

 

本殿のそばに立っていると、とても速い周期でもわもわとした流れが自分へ向かってくるみたいでした。

#上記は個人の感想にすぎません。境内はやはり何か違う空間なのだろうと思っていただけると嬉しいです。

 

こちらの合祀された御祭神の中に一柱とても珍しい方がおられます。天津甕星(別名香香背男)は日本書紀にしか登場しない神です。日本の神話は月星という存在が目立ちません。月読命保食神との話だけです。

 

相撲の神様野見宿祢はこの神社の少し西(現在の飯南町辺り)の出身ではないかと言われています。土俵はその関係かと思いましたが、ここでの相撲は彼に由来するものではなく、出雲国出身の昔の横綱が始めたことからでした。新しい土俵(屋根)は砂の器の頃と随分違っているのがわかります。

 

杉が両側に並ぶ石段は少し掃除の間隔があくと枯れ枝が散乱するものです。写真を見てもらえればすぐにわかると思いますが、石段はとても綺麗な状態です。また、土地も平らで落ち葉も少なく、よく掃かれた地面に見えると思います。

 

神域を物理的に良い状態に保とうという意識を感じました😌 自分の心がお詣り中に澄んだような気がしたら、神社に感謝の念をもって帰りたいですね。

 

湯野神社は駐車場もあってお詣りしやすい綺麗ないい神社でした。

戸宇神社(広島県庄原市東城町戸宇495)

いつも通るルートから外れて走っていると鳥居が現れることがあります。今回の戸宇神社は気になって帰宅後に調べ、次第に”あるもの”のためにお詣りしたくなってきたのです。気になることは片付ける。出雲国の何度目かの神社巡り前にお詣りです。

 

目次

 

【御祭神】

品陀和気命 吉備津比古命

【御由緒】

上は境内にある由緒看板です。神社についてよくわかる看板です。

伝承として

”岡周防が当地へ移封された当時、怪獣が毎夜現れて諸人を悩ました為、吉備津比古命を勧請すると平穏に帰したと伝える。また、神前を馬や籠等の乗物のままで通ると必ず落馬や腹痛の神罰を蒙ると言う。”

広島県神社誌の1392P戸宇神社の所にこう書かれています。吉備津彦命が化け物を退治した話は吉備国に多く残されています。御祭神となってから長く経つ中世にも命の御神徳が広く知られ厚く崇敬されていたのでしょう。

【戸宇神社への道】

東城町市街地で国道314号から広島県道23号へ進みます。西へ3キロほどで右側に長い玉垣が見えるので場所を間違えるおそれは全くないと思います🙂

こちらの神社には参詣者用駐車場が見当たりません。自動車参道で上がって境内にとめるのでしょうか。大勢が集まる時は氏子の方は歩くか近くの民家の土地にとめるのが田舎によくあるパターンです。

自動車参道は入り口から少し入った所で鎖で通れないようになっていました。少し入った所にとめると神社関係者が通ろうとしたら邪魔になります。つまりここは駐車できません。今回どこがとめられる場所なのか書けません。

【👨‍🦽車椅子使用の方のための情報】

自動車参道は社殿の近くまで続いています。

上で書いたように鎖がかかっていますから勝手に外して入ることはできません。連絡先はネットでわかりますので、お詣り希望を伝えて相談されるのがよいと思います。その場合は、田舎は多くの神社を掛け持ちされている宮司さんも珍しくはないので、直前ではなく予め非常識な時間を避けて連絡する形になるでしょう。

 

 

【境内の様子】

戸宇神社社頭

左から

石段参道

随身

石段から見上げる拝殿(お名前はわからないようにボカシ処理をしてあります)

拝殿

本殿

本殿(向かって左側)

本殿(向かって右側)

本殿横から拝殿を

社殿全景

向って右の境内社(神紋からこちらが住吉神社みたいです)

同左の境内社(こちらが稲荷と思われます)

神水は社殿向かって左に

神輿舎のようです

手水舎

随身像(御幣の後ろです)

なで牛?

狛犬

 

【おまいりをおえて】

あるものとは本殿でした。他には道に沿って横幅がある境内のために長く延びた玉垣も印象に残ります。

 

石段参道はそれほど長くはありませんが、鳥居から少しだけ変化し、随身門からは大きく変化してまろやかな気に包まれた境内でした🙂

 

極めて珍しい本殿は左右でなぜか感じは違っていました。向かって左側は常にもわもわした何かが漂っているようで、右側は速い周期で震えるような感じでした。昔、倉敷の日本第一熊野神社の本殿を横に移動していくと皆違ったのを思い出します。理由はわかりませんが不思議です。

#上のことは能力が封印されている人間がその時に感じたことにすぎません。できたら自身でお詣りして境内の不思議さを感じてみてください😁

 

a-wi.hatenablog.com

同じ造りの本殿が並んでいるのはたまに見かけますね。その間を繋いで一つにした形は由緒看板にあるように他では見たことがありません😮 鳥井や石段だけは道から見えるから知っているが奥は知らないという神社は、人によってはとても多いかもしれません。

 

何か気になったので行ってみたらすごく気持ちが高揚した。その偶然(はないけどこの世的には偶然)を呼ばれたといって大事にしている人はそこそこの数になるのではと思っています。

 

これを神が呼ぶわけないだろうと否定することは私はしません。呼ばれた=特別というのは確かに思い上がりの心がそこに幾分かあると思います。その批判なら正しいのかも。戸宇神社そのものとは関係ない話になっていくのでここらで終わりにしておきます😅

 

戸宇神社は山間の町にある神社にしては見事なものだと思います。東城町はたたら製鉄でさかえたからかも。神社はそのものを知ることも大事ですけど、それをそこに存在させている土地のことを知ることも必要です(私はかなり手抜きですが)。

 

戸宇神社はそこにあるものをわかりやすく伝えてくれる綺麗ないい神社でした。

狼🐺の神使(眷属)2

追記が長くなりそうなので別記事にします。

#これを書いたのは冬です。前の記事は1月半ばです😅 下書きの中に埋もれていたのを発掘しました。

 

追記

今年のことだと思っていたら、なんと2023年のことでした😳 下書きの2を公開しないままその年(2023年)の秋に別の記事を書いて公開。今回の2はすっかり忘れ去られていたのでした。

 

a-wi.hatenablog.com

 

a-wi.hatenablog.com

稲荷の世界(ネットワーク)のことは昔書きました。

 

伏見稲荷からの分社になるので一応全てがひとつのネットワークを形成しているようです。では狼はどうなのかもう少し質問してみました。

三峯神社木野山神社、同じ狼が神使(眷属)ではあっても基本的には別物らしいのです。東と西で分かれている感じ? しかし、全く没交渉というのでもなく、別のグループ、ネットワークではあっても、互いが補完しあっているそうです。

#武蔵御嶽神社三峯神社と同じく日本武尊と関係の深い神社ですから関東の狼(山犬)が神使の神社は一グループなのかもしれません。

遠方からお詣りする人がいますし、近くの住人でも遠方の者のことでお願いする人もいます。移り住む人が勧請して分社をという例もあるでしょう。そうした件で多少の行き来はあるということですね。

 

連絡係のような存在が少数いてお使いに行くそうです。ですので、互いに少し顔なじみがいるくらいの繋がりなのでしょう🙂

 

いろいろとたずねて面白いことがありました。ただ、それが正しいかどうか確認できる他の判断材料がありません。なので2は短いですがこれで終わりとします。

大原神社(島根県仁多郡奥出雲町上阿井2)

名前が気になるかと思えば、次は御祭神様が気になって神社を選ぶ。男神ばかりの社の次はやっぱり女神様のおられる社に😅 

#ある程度の範囲で偏らないようにとは思うのですけど、なぜかこうなるのです。

 

目次

 

【御祭神】

大名牟遅命 玉比女命 大物主命

【御由緒】

 

 

上の写真は社頭にある由緒看板です。

奥出雲町遺産 第1回認定:奥出雲町

ふるさとの宝 No.14 「大森さん」:奥出雲町

下の二つは奥出雲町サイト内のページで、上のリンク先で紹介されている遺産認定No7が大原神社です。最後のリンクは大原神社について書かれたpdfへのリンクがあります。

【大原神社への道】

国道432号から細い阿井川を挟んだ北側が社頭です。北の三成からだと約8キロ、南の広島との県境からは約10キロです。

 

北からは国道314号がJR出雲三成駅の東で分かれて国道432号になります。大きな青い案内標識があるので道を間違えることはないでしょう。314号をどちらから来ても、斐伊川を橋で渡ってからは道なりです。いったん432号は山の中を走ります。それが開けた所になったら1キロ少々で神社の南付近です。

 

南からは山の中の道です。それが左右に田んぼが広がった所からそう距離はありません。ナビのセットがまだの人はこの辺りですれば間に合います。

 

大原神社社頭付近には参詣者用駐車場と示された場所はありません。石灯籠が川のそばに立っている所は舗装されています。神社ではなく関係者の土地だと聞きました。神社によっては、参詣者が知らずにとめても黙認されることはありますが、そうした場合でもそこをその時使う予定があると問題になると思います。

 

自動車参道があるので境内に入った辺りにとめていったん鳥居まで戻ってからお詣りすればよいのでしょうか。自動車参道入り口には関係者以外通行禁止の札や車止めはなかったです。

#境内には一般車両が入らないのが常識と思っている関係者が車止めの措置をしていないのか、それとも歩くのが難しい人のことを考えて開放しているのかが不明なのです、何らかの掲示物が無いと。あちこちの神社をお詣りしていて、現地についてからここが一番悩むところです😔

【👩‍🦽車椅子使用の方のための情報】

自動車参道があるので上まで車で行くことは、他所からの参詣者が通っていいならば可能でしょう。分かれてからは細い道です。写真右に細く見える道(実際は広い道)は神社社頭から150メートルくらい西へ進んだ辺りです。

50メートルくらい先で二の鳥居のある段とさらに上の社殿とに道が分かれます。

二の鳥居前

山の中にしては広い土地なので、社殿のある場所は車椅子を安全に降ろせるスペースはあります。

ですが、ある理由で自由に上がることは避けた方がいいと思います。

 

近所の方の話では昔クマ🐻が出たのだそうです。どうやらハチの巣目当てらしいと。そのためでしょう、ハチのトラップがたくさん仕掛けられていました。今はクマは出ていないようなのでむやみに恐れることはないでしょうけど、もしたまたま出くわしてしまったら車椅子では危険かと。

 

事前に上まで車での参詣になる許可を得て、多人数でのお詣りがよいのではと思います。これは歩ける人も注意するのは同じでしょう。

 

連絡先はネットで調べるとのっています。

 

 

【境内の様子】

大原神社一の鳥居

随身

拝殿へ

拝殿前から参道を

拝殿

本殿

社殿全景

境内社(流造でないのが出雲国らしさを感じさせますね)

御仮殿

楠公神社

アップで

一の鳥居の向かって右側にあります

ご神木

手水鉢(下の道のそばにあります)

石灯籠(神社前の道を挟んだ所にあります)

随身

狛犬(石段参道を上がった所に)

 

【おまいりをおえて】

この場所に遷座したのは江戸時代初めでも、出雲国風土記に書かれている古社です。郷社だったのも納得です。御祭神にまつわる古い話が今も失われていないのは素晴らしいことですね😃 

 

かなり長めの参道(途中の写真がないためにそうは思えないかもしれませんけど)を歩いて随身門を過ぎると山の神社だなと納得の感じに周囲の空気が変わるのがわかります。

 

本殿の周囲を歩いてちょっと立ち止まってみました。その一帯はうねるような力を感じました。

#いつも書いていますがあくまでもその時の個人の感想にすぎないもので、そうした気の保証はできません。境内は外とはやはり違うのだなと思っていただけるとありがたいです。

 

大原神社本殿はかなり大きめな大社造です。それ単体でもなかなか見事なものだと思いますが、拝殿も直線(平面)で構成されていて、両者を一つにした眺めはさらに美しく見えます(個人の感想です)。派手な宮彫りが無いのも落ち着いた美しさの理由でしょう😊

 

忠臣大楠公は戦後、人々の意識の上では歴史上の人物である楠木正成という武将へと大きく変化したと思います。今も祀る小さな社が残っているとは思いませんでした。私の住む辺りでは見たことが無く、思わぬ機会に感謝して頭を下げました。

 

大原神社は奥出雲の歴史を感じられる豊かな社叢に囲まれた綺麗ないい神社でした。

その気になれば寺社石段にあるステンレスの手摺からも

私らしくとか自分軸とか言い訳に使われる言葉の氾濫は恐ろしいものです。ただでさえ人生でろくに学ばずに死んで守護霊ガックリな生命体なのに。

 

突然ですが、ステンレススチールはなぜ長期間輝くのかわかりますか? 鉄は足のすぐ下にも山ほど(内核が巨大鉄球ですし)あります。己の血中にもありますね。この星ではありふれた物質です。

鉄を取り出して放置しておくと真っ赤に錆びてくるのはいちいち書くこともないですね。

 

人間に当てはめてみるとどうなるでしょうか。

 

生まれた時は綺麗だった魂(今回はこの表現でいきます)が三次元で汚れて本来あるべきものを失っていくのが、銀色の鉄が錆びるのと非常によく似ています。

 

定期的に手入れをしていると錆の発生や進行を遅らせることができます。ですが、今回の人生を始めた時点から特に変わらないことになります。これでは生まれた意味がなんだったのか。

 

私らしくとか自分軸とか(己に楽なように)都合よく解釈しているのがこれに当たるでしょう。

 

上で書いたことの答えは、ステンレススチールは鉄に他の金属を混ぜた合金ゆえに光り続けるです。では混ぜられた金属は人では何かと言えば、それは他者の意識。正確には他者がもたらしてくれた己の欠点を修正可能な言葉であり行為です。

 

己の錆びていく欠点をカバーしてくれることもある他者を遠ざけていることを、私らしくなどとつまらない言い訳をしている人間の多さ😑

#書いているようなことは用語の有無は別にしてやってきているのです、7~8年前まで私も。

 

合金にするにはそれまでの鉄とは異なる状態にしないといけません。人間でいえばそれまでの自己を捨てて変化を受け入れないとダメなのです。そりゃ変わらないで今日一日疲れないで過ごせたら楽ですが、いつ錆びても文句は言わないことです。でも大多数が言うのが現代人だと思います😔

#Xをのぞいてみると間接的に神仏に文句を言っている人間は数えきれないです。これが日々この世に積もっていくのですから、どうなるかは火を見るよりも明らか。

 

他者から何でも受け入れるのはよくありませんが、光り輝くために必要なものを受け入れて変化するのは調和と呼びます。

 

この時必要な選択を行うのに肥大した我は邪魔になります。我は己の本質ではないと今までも書いてきました。でも我だけを感じてきた人にはどうしてもそう思えないのでしょう。肥大した部分を捨てるどころか新たに付け加えていくのを目にしない日はありません、正直に言いますと😔 

#自己正当化に終始した結果、神々に見放されているのに当人はそれを知りません。哀しい話です。

 

ステンレススチールは現代文明では特に希少な物ではなく、生活していてお世話にならない日がないくらいあふれている物質。そうした物からもその気になればいくらでも学びはできる。そんな物が周囲に満ちている。その人間の成長度によって、同じものが何通りもの意味を持って個別に対応できている。上手く作られた世界だとは思いませんか? 

#ステンレスではどうなるかと考えただけで、普段からそう考えているわけではないです😅 いくらなんでも。

 

もし思えたら私らしくなどという言い訳はもう不要でしょう。そうした言い訳をしないで生きるのが私らしくです。

 

その気になって学んだことがあれば、いつか私に見せてください。私はそれを溶かしてさらに強い合金になりたいので🙂

 

追記

これはかなり前に書いてそのまま下書きとして寝かせていた記事なのです。カビ棚の記事はつい先日の事。だから、怠けてカビのおっさんが何を上から目線で書いているんだ? と言われても何も言い返せません😅 困った困った。

鬼神神社(島根県仁多郡奥出雲町大呂2058-2)

グーグルマップで神社を探していて名前を見る。前記事の稲田神社から近いこともあってお詣りコースに。行ってみたらよいタイミングでした。

 

目次

 

【御祭神】

素盞鳴命 五十猛命 他数柱の神々

【御由緒】

 

上の写真は社頭にある案内板です。鬼神神社そのものの御由緒は拝殿壁に掲げられているのですが写真に撮っても読みにくいと思ったのでありません😅

【鬼神神社への道】

前記事の稲田神社からは北西に2キロほど離れています。国道314号から斐伊川北にある島根県道258号を東へ走ります。258号は分かれてからしばらくは民家の間の細い道ですがやがて広く走りやすい道になります。

 

国道314号を北から来た場合は自然に分岐していく形で県道258号を走るのがいいかもしれません。南からだと手前で県道15号に入り、すぐに県道107号(左折)を川を越えて突き当りを右へ(ここまで15号から300メートル少々かと)。約3キロで右折して県道108号へ。この交差点からは1キロで神社社頭です。道沿いですので108号まで来れば大丈夫でしょう。

前記事稲田神社からだと県道15号を少し西(200メートルほど)へ戻って県道107号から県道258号、次に県道108号へがわかりやすいように思います。私はこのルートでした。この神社には参詣者用駐車場がないようです(駐車場看板は見当たらず)。

 

【👨‍🦽車椅子使用の方のための情報】

参詣者駐車場がないのと自動車参道もないことから社殿前に行ってのお詣りはさすがに無理だと思います。

 

 

【境内の様子】

鬼神神社社頭

社号標

一段奥から始まる石段参道

石段参道

拝殿正面

葺き替え中の本殿

向って左側

由緒看板は拝殿の壁(写真右下部分)に

拝殿横から前方を

素戔嗚尊の船が岩となったという岩船(大明神)

本殿横から五十猛命御陵地へ

山道(上の写真の続きの道のはずですが不確かです)

道が折れた先にある鳥居

鳥居を振り返る

五十猛尊御陵地1

同2

狛犬(一の鳥居裏)

狛犬(手水鉢横)

狛犬(二の鳥居前)

 

【おまいりをおえて】

道沿いの一の鳥居周辺の雰囲気はその先にある二の鳥居前で変化します。そこから先、境内はなめらかな空気に覆われていました😌

 

石段を上がって初めて本殿屋根の葺き替え工事中なのを知りました。写真のように、綺麗な銅板葺きへの工事はほぼ終わっているようでした。他の方が撮られた以前の写真を見ると銅板でも瓦でもなかったのですね。味わいがあるのでそちらも一度見てみたかったです。今だとまだ綺麗な銅の屋根を見られるかも(短期間で輝きがなくなるので)。

 

多くの神社にお詣りして嬉しいのは工事中の場合はその様子、終わったばかりだと新しいものを見られることです。私は年に一回か二回そうしたことがあります。ネットで情報収集に励めばもう少し多く見られるでしょう🙂

 

五十猛命御陵地へは距離も短くでこぼこ道ではないので、運動不足な私でもなんとか登れました。登りはそうでもないのですけど下りは滑りやすかったので注意してください。御陵地は一目でそうだとわかることはない気がします。

 

御陵地は静寂の中にあって、しーんとして何も動きが無いようでいて、緩やかに動くものをなんとなく感じました(が私にはそれ以上はわからず)。

 

磐座は小さなものですが、地中に残りの部分が埋まっているそうです。近づくと磐座だけに強い気の放射が感じられます。

#上の方で書いたことは全てその日の個人が感じたにすぎないことです。他の方とは違うかもしれません。

 

式内社の論社としての名前から鬼神神社となって今に至るまで複雑な話があるようです。これは現地の伝承や風土と共に生きる方達の感覚がないと理解しにくいような気がしました。ですので、御由緒の所は岩船大明神がわかりやすいこともあって、こちらの板にしてありますm(__)m

 

鬼神神社は記紀神話ではわからないものを補ってくれる綺麗ないい神社でした。

神棚がカ〇棚に😱

今日は恥ずかしい話を。

 

やっと神棚を触れるようになったので、一日に大喜びで枯れた榊を青々とした榊に取り換えました。酒を供えようとした時にふと、瓶子は一応洗ってあったがもしカビが生えていたらいかんなと思い、紙コップで今回は済ませて15日までに新しい瓶子を買ってくることにしました。

 

神社のことやその他諸々で忙しく、下げるのを忘れていました。忙しい時はしばらく神棚の前に立たないこともあるのです。

 

今夜、紙コップをまだそのままだったかと思って見ていたら、何やら下の方が妙な感じに?🙄

 

酒が底から漏れていました😨 慌てて椅子を持ってきて神棚板を上から見てみたら

 

神棚のお供え物用八足台がべたべたでカビが見事に生えていました😱 ああああああ!

被害は八足台三つが使用不能。ご眷属様の像一つが酒を吸ってしまっている。神棚板三枚に染み。

 

一番大きな神棚板は桧(集成材)でこれが痛い😞 他二つは元々桐の集成材でした。これはすぐに交換できますが、桧の方は同じ物はなく、より大きな物をカットしないといけません。あるいはこれも桐にするか。

どの板も私が上に神棚用神具をごちゃごちゃ置くから空きスペースが無い状態でした。榊立の水がこぼれて小さな染みが幾つかありました。板交換の理由ができました。

 

水をこぼしたくらいでは神棚板は交換しないと思います😅 神棚(宮型)を取り換える時に一緒にくらい?

 

久しぶりの神棚関係記事がこんな汚いものになって、おっさんちょっとだけ自己嫌悪になりました。

 

神棚板を汚すのは神社の境内で立小便するみたいなものかもしれない。皆さんは絶対にこうならないようにしてください🙏

お詣りとツキノワグマ

初夏に島根(出雲国南部)の神社巡りをしていました。私が住む山陽地方では山の神社で遭遇する危険生物はなんといってもオオスズメバチ🐝です。次が参道でのマムシ🐍。その次がサル🐵。最後がイノシシ🐗です。

#場所と季節によってこの順番は前後すると思われます。

島根県西部(岩見国)はツキノワグマ🐻が出没してかなりの数の報告があるそうです。東部(出雲国)は数はぐっと少なくなるものの、こちらも出るようです。

島根県:クマの被害にあわないために(トップ / しごと・産業 / 農林業 / 鳥獣対策)

西中国山地三県の中でお詣りを計画している島根県のページをリンクしてみました。グーグルで検索するとツキノワグマに関して非常に多くのページがあることがわかります。

 

今の季節はクマ注意だそうです。

 

中国山地にはツキノワグマがいるのは知っていましたが山奥のことだと思っていました。最近クマが民家のそばに出たニュースを見て調べた結果、無知だったなあと😔

 

街中にある神社は大丈夫でしょうけど、山の中の神社は少し気をつけた方がいいでしょうね。私個人は初雪の前に岩見国も一部お詣りをと考えていました。目撃情報が特に多い所に近い神社は対策はするつもりです。

 

闇雲に恐れることはないのかもしれません。これからはクマについてもしっかり調べてお詣りは楽しく続けていきたいです🙂 皆さんも楽しいお詣りのために自分の住む地方やお詣りしようと考えている地方ではどうかを知っておくことは大事だと思います。

 

自然(野生動物)は神々の仕組みの元にあるものです。上手くつきあって日々を過ごしていきましょう。

#お詣り時に避けるための準備をすればいい者と違って、林業や農業関係の皆さんの野生動物対策の苦労は本当に大変なものだと思います。その苦労が報われることを願っています。

稲田神社(島根県仁多郡奥出雲町稲原2128-1)

名前からし出雲神話な神社に胸が高鳴りますね😃 そしてそれは当たったのでした。

 

目次

 

【御祭神】

稲田姫命 素盞鳴尊 大山祇命 大国主命 足摩乳命 手摩乳命

#イラストACにある”えんそう”さんの女神イラストです。

【御由緒】

稲田神社 - 神社詳細 | 島根県神社庁

稲田神社 (奥出雲町) - Wikipedia

リンク先は二つとも読んでみてください。

下は境内にある由緒看板です。

 

【稲田神社への道】

国道314号の奥出雲町横田で島根県道25号へ進みます。ナビが無くてもわかるくらいに白い案内標識(南北どちらからにもあります)がたくさん縦に並んでいる大きなT字路を曲がります。600メートルくらい進んだ所が短い橋になっています。その先150メートルほどで右へ曲がります。200メートルくらい走ると稲田神社の案内標識が道路上空にあります。あとは片側一車線の道を約1キロで稲田神社駐車場に着きます。

 

駐車場は神社の手前、笹の宮横の舗装された所です。

ですが、ここからだと参道を数百メートル歩くことになりますので、お昼ご飯時でなければ参道をそのまま進むと楽です。車二台ぎりぎりすれ違えるかどうかといった幅です。

この神社は社務所に有名な蕎麦屋(姫のそば ゆかり庵)があります。なので、お昼時は島根ナンバーだけでなく県外の車もやってきています。特に連休等は一杯になるようで、参道脇にもとめたりしているみたいですね。

境内は未舗装なので車がスピードを出して走ると土埃が結構派手に。念のためマスクをして歩いた方がいいでしょう🙂

 

笹の宮や産湯の池にもお詣りしたい方は最初から手前の駐車場にとめて歩いてまわるのがいいかもしれません。二つともこちらの駐車場からの方が近いです。ほぼ平らな土地ですから歩くのは大変ではないです。

【👩‍🦽車椅子使用の方のための情報】

手前の駐車場は数十台とめられそうな広さがあります。蕎麦目当ての車が少なければ社殿から数十メートル離れた土地に駐車できるでしょう。

 

境内駐車スペースから緩い傾斜の土地を進むと拝殿は一段高くなっています。石段だけに見えますが、右端がこんな坂になっています。作業用車が通るための道だと思われます。”境内の様子”に拝殿横からこちらを見た写真もあります。

本殿はもう一段高い土地で、玉垣で囲まれています。こちらの写真は全く無いのを見ると完全に無理なのだと思います。

#皐月のことで記憶頼りでははっきりと書けず申し訳ないです。

 

笹の宮はこんな場所です。

駐車場の端からは30メートルくらいしか離れていませんが、車椅子だと路側帯が狭くて車道にはみ出してしまうと思います。

 

 

【境内の様子】

稲田神社鳥居

駐車場から少し歩いた所から見る拝殿

拝殿

出雲国らしい太い注連縄

拝殿横から前方を

拝殿横から本殿を

本殿のある段から見た拝殿裏

本殿遠景

本殿正面

本殿斜めから

神紋

社務所(姫のそば ゆかり庵)

笹の宮

案内板を拡大

素戔嗚尊櫛名田比売の像

素戔嗚尊

稲田姫

由緒看板とイラスト(鳥居の形なのがお洒落)

石灯籠(社殿の屋根を模しているのは珍しいですね)

誕生地の碑

 

【おまいりをおえて】

私が小さな頃からお世話になってきた神々の中におられる女神が櫛名田比売です。こちらにはどうしても行きたいと思っていました。神話が人々の心の中だけにあるのではなく、現実の場にもあるのは嬉しいことです😊 駐車場にとめてはやる心を抑えながら急ぎました。

 

鳥居の先80メートル近い距離を進んだ先が駐車場でそこまでは他の土地と大差はなかったかと。そこから拝殿まではじんわりと良い気に変わっていくのを楽しめます。拝殿までは他の神社との違いははっきりわかりませんでした。

 

拝殿と本殿が繋がっておらず、本殿前でもお詣りができる神社ではそうしています。稲田神社本殿前に行こうと短い石段を上がっていくと日向なのに急激に気温が低下していくように感じる清々しさと威圧感。ありがたさで身の縮むような感覚になれる喜び😌

 

ゆかり庵駐車場となっている境内からほんの少し離れた奥にこんな場があるとは予想外でした。ここには拝殿に来た人の中でも一部の人だけが来ているのでしょう。拝殿が壁となって聖と俗が分けられているのかも。

#あくまでも当日の本人の感想です。何も証明することはできません。他の方とは感じ方が違っているかもしれません。

 

大社造の本殿を間近でじっくり見ることができるのはありがたいです。普通は幣殿と繋がっていて瑞垣で囲われて近づけないですよね。他の方が昔撮られた写真を観ると社殿が違う? 拝殿と本殿が妙に離れているのはそのためだったのですね。昔、実業家小林徳一郎氏の多額の私財(寄進)によって整備されたのですが、氏子がいない故に維持が難しくなっていたのだそうです。このあたりの話は下でリンクする”姫のそば ゆかり庵”の公式ページを読むと詳しく書かれています。

 

拝殿前に櫛のお守りが置いてあってそこでひとついただきました。普通の形のお守りは多くなりすぎるので受けませんが、珍しい物はつい受けてしまいます。同じ物は社務所にもあります。

#櫛が行方不明になってしまって写真がありません😅

 

笹の宮は小さな竹藪? 道から5メートルくらいしか離れていないのでよく見えます。産湯の池はナビで歩いて向かったのですが、池のほとりへ案内された所で迷った末に引き返しました。池の土手の奥の方にあるらしいのです。けれど、草が伸びていたらマムシやマダニの危険があるだろうからどうするかなと考えて今回はみおくりました😥

 

最後に……とても素敵な櫛名田比売の神社だっただけに、どうしても気になったことをひとつだけ書かせてください😔

 

出雲と言えば蕎麦ですよね。神社巡りでいつもぎりぎりまで時間を使ってしまうから現地の物を食べることがなかなかできません。こちらはお詣りと食事を両方すませることができるのです。これはありがたい😊

 

そして          ↓

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お詣りもせずに蕎麦だけ食って帰る人々を見た時、この国の未来がこの国の民の手ではっきりと決まった気がしました。

 

参拝の強制はできませんが、せめて駐車スペースから一礼して食べに行くくらいはしてもいいのではないでしょうか。やってくる人の多くはどうやら認識は蕎麦屋のようですが、そこは神域にあるのです。信仰は各自の自由だとしても、礼儀は自由ではないはずです。人々の心に霊的な豊かな実りがなくなっているのが問題な気がしているのです😥

姫のそば ゆかり庵 奥出雲 稲田神社

寂れてしまった神社に活気をと願われた方々の労に敬意を表して、土地と神と人のムスビを感じられる貴重な蕎麦を美味しくいただいて良い放射をして帰りましょう。

 

稲田神社は縁ある地に恩返しをした人物が残したものと、その土地で生きて大事なものを守っている人から、その土地その土地で生きる意味を学べる綺麗ないい神社でした。

#蕎麦は評判通り美味かったです😋 松江や出雲といった観光地からは少し離れていますけど交通量と信号の数の点で非常に快適なドライブを楽しめると思います。