ほわほわ神社生活

ほわほわ神社生活

神社が暮らしの中にあるおっさんのちょっとだけ変わった日常です。主に岡山県広島県の神社巡りをしています。神社巡りの記録や神社のことで思うことを書いています。

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日長山八幡神社(岡山県井原市野上町4504)

八幡神社は数が多く、飛び飛びにお詣りしないと記事が八幡神社でうまってしまうのです。ある程度巡ってから飛ばした土地の神社へお詣りすることになります。今回はそうしたお詣り済みの隙間を探して気になった八幡様です。名前はひおさやまです。

 

目次

 

 

【御祭神】

品陀和気命 息長帯日売命 表筒男命 中筒男命 底筒男命

岡山県神社誌に載っていないため上記の御祭神名はホトカミの日長山八幡神社のページに書かれてあった名になります。

【御由緒】

日長山八幡神社|岡山県神社検索|岡山県神社庁

 

【日長山八幡神社への道】

南からだと国道486号から分かれて岡山県道291号を北へ進むと興譲館高校体育館の横を通ります。そのまま道なりに3キロくらい進むと、秋には県外からも多くの方が買い物にやってくる葡萄浪漫館への案内がありますが県道291号をそのまま直進です。

 

約2キロ走ってセンターラインが消えた先、道が左右に分かれる左側が県道291号でそこから急に細くなります。車一台分くらいでしょうか。所々すれ違いのために広くなっていますが、100メートルから200メートルくらいの間はすれ違いが難しい所もあります。そこさえクリアできれば1.5車線くらいはあるのでなんとかなると思います。

 

南からだとどこで曲がって291号へ進むかと、どのくらいの距離細くなっているのかをストリートビューで予習しておくと安心できるかと🙂

 

北からだと国道313号が坂になっている所に焼き鳥屋さんのあるT字路があって、ここを曲がって県道77号から県道291号へ進んで行きます。こちらも神社近くの集落の辺りは道が広めですが、そこまでに狭い箇所がやはりあります。

 

通勤時間以外の日中はほとんど車は通らないのではと思います。ですが、二台(同じ所で)すれ違いましたから、慎重な走行をお願いします。たぬきが二匹うろうろしていました😊 小動物が出てくることがあるかもしれません。

 

神社のそばに公民館があります。神社名の書かれたプレートが下側にあるのですけど、駐車場の意味で示してあるのか? これだけだとわかりません😔

鳥居前にアスファルト舗装の道と違うコンクリ舗装されたスペースがあって軽自動車だとちょうどコンクリ舗装の部分に入って止められるくらいの広さです。ただ、神社の土地だとしてもここでは参詣者の邪魔になってしまいますね。

 

【👨‍🦽車椅子使用の方のための情報】

自動車参道がありますが、分かれる所の幅は2メートルあるかないかといった感じでした(正確に幅は測れないのです)。

問題は境内へ入る所にチェーンが張ってあることです。

ですから車では不可能です。下から車椅子で上がるしかないでしょう。チェーンの横から車椅子で入れるくらいの幅があります。しかし、下からここまで車椅子を押してもらって上がるのは結構大変だと思います😔 介助も複数人でないと安全とはいえないかと。

 

下に駐車してもよいとしても結構無理をしないといけません。宮司さんにあらかじめお願いしてチェーンを外してもらえた場合でも軽自動車が無難でしょう。

 

あるいは、石段そのものは大した段数ではないのでおんぶして上がり、車椅子は別の人が持って上がるのも屈強な男性介助者ならできなくはないでしょう。

 

絶対に無理ではないと思いますが、まえもっていろいろと準備が必要な神社だと思います。

 

 

【境内の様子】

日長山八幡神社社頭

鳥居

石段参道

参道上から

拝殿へ

拝殿

本殿

社殿全景

本殿後方から

社務所

本殿向って右側境内社(左側には荒神社、國司神社、子守神社、菅原神社の額)

本殿左側の境内社

本殿奥の境内社

本殿横から奥の境内社

鳥居前狛犬

おまけ 屋根上の逆立ち狛犬

 

【おまいりをおえて】

山の中を少し不安を抱えつつ走っていて見えた鳥居の存在感😃

 

高さはあまりないので、参道も石段の数は少ないです。さっと歩いて上がってもフーフー言うことがありません。祝詞も息が整うのを待つことなく奏上できました。

 

山奥にあっても明るい雰囲気の神社です。最初はわかりませんでしたけど、しばらくしてとても涼しく感じるのに気がつきました。柔らかさと清々しさが同じくらいに思いました。本殿横ではゆったりとした風のようなものを感じました。

#あくまでもその時の個人的感想です。他の日ではまた違うかもしれませんし、他の方とも違うかもしれません。

 

本殿の奥の方に境内社がありました。そうした所は社殿周辺とはまた違う空気のことが多いのです。こちらはそうした感じもないではなかったですけど、爽やかさが充分にあって、別の場の感じは薄かったように思いました🙂

 

神社から北に少し離れた辺りに民家が並んでいる(氏子?)ためか、地面には掃除跡が残っていて綺麗でした。境内社の榊が青々としているのは見ていて気持ちがいいです。瓦はふき替えられてからそれほど年数が経ってはいないように見えました。逆立ち狛犬が乗っている神社は吉備国には所々にあります。こちらもそのうちのひとつでした😊

 

日長山八幡神社は山奥にありますが、きちんと維持されている綺麗ないい神社でした。

懸幡神社(岡山市北区東山内1303)

総社市の神社へ行くつもりがなぜか他車の流れに合わせて北上することに。地図で調べて国道から分かれてすぐのこちらのかけはた神社を見つけて立ち寄りました。

 

目次

 

【御祭神】

武甕槌命 経津主命

【御由緒】

懸幡神社|岡山県神社検索|岡山県神社庁

【懸幡神社への道】

国道429号から一本西の道沿いに鳥居が建っています。どこで曲がればよいか書くのがとても難しいのでナビに案内してもらってくださいとしか😅

 

私は総社市から北へ走っていたので、ガソリンスタンドのある交差点を曲がってまたすぐ右へ曲がってそのまま鳥居の間をくぐって神社へ向いました。鳥居前に一本松があるので鳥居より前にこちらで参道入り口がわかるでしょう。

 

鳥居の間は大きな車では難しいようでした。2.3~2.4メートルくらいの幅がありましたが、鳥居は上が狭くなるように斜めになった柱です。ミニバンとかだと高さの制限もあって鳥居を車でくぐらない方がいいかもしれません。

 

鳥居をくぐって進まなくても、しばらく進んだ所から鳥居と社殿の間にあるスポーツ広場前の道へ行けます。一度ストリートビューで予習しておけば問題ないと思います。

 

現地を歩いてみたのですが……神社駐車場の看板が見当たりません。鳥居から少し進んだ右に広い土地がありますがここにとめてよいのかどうか不明です。広場への階段(日露戦役凱旋記念注連柱)横のスペースに駐車するのかもしれませんが案内看板がないためにこちらもよくわかりません😔

付近に人影がなくたずねることができませんでした。

 

ですので、よくわからないままに駐車するのは避けた方がよいと思います。

【👩‍🦽車椅子使用の方のための情報】

スポーツ広場西側に上に行く道があります。鳥居の付近から下を見た写真です。

神社境内へ鳥居の横から入れるようになっています。タイヤ跡がありました。

境内も横に広いので駐車して車椅子を降ろすスペースは充分にあります。拝殿や社殿横の境内社群には段差がないことから行くことは可能です。あとは他所からの参詣者が車で入ってもいいかどうかの問題です。

 

関係者以外駐車禁止の札はありませんが、暗黙の了解で普段入らないことになっている神社もあるかと思いますので、こちらの神社が気になってお詣りを考えている方はお詣り前に一度問い合わせをされてはどうかと思います。

 

氏子の方に現地でお願いしてとめさせていただいた神社もありますが、必ず会える保障はありませんから、どうされるかよく検討をお願いします。

 

 

【境内の様子】

懸幡神社一の鳥居(だと思います)

懸幡神社正面参道

神門下から神社前を

神門

神門裏側

拝殿正面

本殿

社殿全景

境内の外から

社殿横から西の鳥居方向を

境内社群(右奥から懸幡神社、厄神社、王子神社、厄神社、荒神社、五座神社、八王子神社、御崎神社)

西側鳥居近くの手水鉢?

懸幡神社狛犬(一の鳥居前で民家がまともに写りこむため、適当に塗りつぶし済み)

 

【おまいりをおえて】

鳥居がぽつんと離れた形なので、神域だなと感じるのはスポーツ広場を通り抜けて神門への石段をしばらく上がった辺りだったように覚えています。というわけで、わかりやすいはずの西の坂道沿いにある鳥居を出たり入ったり。

 

こちらはちゃんと短距離でわかります🙂

 

本殿そばに立っていると、ゆっくりと流れてきて体に当たると軽い痺れとなりました。

#いつも書いているようにあくまでも個人の主観です。他の方とは違っているかもしれません。

 

懸幡神社の参道途中にある神門は四脚門? でいいのかな。随身像がない門だと横に壁があるものはたまに目にします。見事な屋根とそれを支える柱のギャップが普段見慣れなくて面白かったです😄

 

神社庁ページの御由緒だと神武東征時の話ですから神話の時代からになりますね。古事記では近畿地方でのエピソードが中心となりますが、ルート上には真偽はともかく興味深い話が各地に伝わっていて、そうしたものをまとめて読みたいなと御由緒を読みながら思いました😌

 

懸幡神社は神門以外は特に派手な所のない落ち着いた造りと思います。古代吉備国の長い歴史、神々の時代から人の時代への流れを眼前の谷(集落)を眺めつつのんびり考えられるいい神社でした。

箱田山神社(岡山県笠岡市吉田3909)

午後休みになったのでいつものようにグーグルマップで調べていると、珍しい花が咲いている神社を発見。しかも今が観られる時と知ったので時間を気にしながら車を走らせたのでした。

 

目次

 

【御祭神】

吉備津彦命 少彦名神 素戔嗚尊 大年神 応神天皇 神功皇后 

大山積神 若年神 宗像三女神 住吉三神

 

【御由緒】

箱田山神社|岡山県神社検索|岡山県神社庁

 

【箱田山神社への道】

岡山県道48号から少し東の山にあります。山陽道笠岡インターから笠岡市街(南)へ向かってすぐの追分交差点を東へ進みます。約2キロほどで曲がる所まで来ますが、その場の写真を撮るのは難しかったので今回ありません。

 

曲がるのは信号のある交差点です。追分交差点側からだと2キロくらい? で右斜めへ分かれていく感じです。あとは小学校や団地の横を過ぎて道なりに600メートルくらいで右奥に見える社叢でわかるでしょう。

 

ナビ任せで大丈夫ですが、上記の道が広くていいと思います🙂

 

岡山県神社庁ページによると駐車場が無いとのこと。一の鳥居の前に石灯籠があり、その横には車一台が止められるスペースがありました。

 

神社のある小山の周りを道が通っています。裏側の民家の横に自動車参道があって境内へ入れるみたいです。

お堂の横の道

みたいですと書いているのはいつものように参詣者が中に駐車していいのか不明だからです。

 

【👩‍🦽車椅子使用の方のための情報】

上でも書いたように正面参道(石段)以外で社殿へ行くことは可能です。社殿周囲も平らですから、車椅子で境内社までお詣りも問題はないと思いました。あとは石段は難しい場合に駐車してよいかどうかわかれば楽しくお詣りできるでしょう。

 

 

【境内の様子】

箱田山神社社頭(一の鳥居)

一の鳥居から二の鳥居へ

二の鳥居

正面参道

拝殿へ

拝殿正面

本殿

社殿全景

社殿を横から

社殿斜め後方から

境内社荒神社)

境内社火産霊神社)

石段最初二の鳥居横の狛犬

石段二番目の狛犬

石段を上がった玉垣内の狛犬

エヒメアヤメの説明

エヒメアヤメ

エヒメアヤメ

エヒメアヤメ自生地 - 笠岡市ホームページ

 

【おまいりをおえて】

一の鳥居をくぐって長く伸びる参道を見ると気分が一気に高揚しました😄 長いですけど、ずっと石段ではなく水平な部分を石段で繋いだ形なので距離の割には楽でした。参道に複数の立派な狛ちゃんがいて本当にいい雰囲気です。

 

複数の狛犬がいる神社は珍しくはありませんが、参道だけでなく境内社にもそれぞれ一対の狛犬がいるのはあまりなかったとお詣りしてきて思います😄 玉乗り狛犬も時代や石工による違いを楽しめますね。

 

鳥居をくぐるとすぐに弱い変化があります。それからしばらく変化が続いて一定になりました。急に変化する場所は感じませんでしたが、逆に言えば上の方はどこも非常に柔らかな気に満ちていたということです。

#あくまで個人の感想です。他の方は違うかもしれません。

 

こちらの神社、エヒメアヤメの自生地なのです😃  写真の看板によると、昭和の古い案内ですがこちらが自生の東端とのこと。4月上旬~中旬に咲くそうで今日はしおれているものはなく、皆元気に咲いていました😊 近くの花壇には色とりどりのチューリップ🌷も。

 

駐車場の問題がクリアになればぜひ見てほしいです。

 

箱田山神社は、趣のある正面参道とエヒメアヤメという魅力のある綺麗ないい神社でした。

量は変えずに心を変える

今回は短めです。

 

山の神社だと参道が木々の間をのびていて、そこにたくさんの大きな枯れ枝が落ちていることがよくあります。歩きながらそれを拾って道の端に寄せます。人間が思うゴミ=枯れ枝の数は全く減っていません。ですが、参道上から消えることでそこに人の思いを残せます🙂

参道が綺麗な気持ちいい神社にとの思いは、次にお詣りに来た人の気持ちを清々しく変えます。

 

管理者ではないので勝手に処分はできませんが、大きくて歩くのに邪魔になる枝を横にずらすくらいなら許されるでしょう。

 

参道の真ん中を歩かないとか、鳥居をくぐる時に一礼して進むとか、そうした形よりも自分だけでないちょっとしたことを自然にできる方がはるかに神様やご眷属様に喜ばれることです🙂

田倉牛神社🐄(岡山県備前市吉永町福満994-1)

「うっしっし、牛神社のご利益で宝くじ当たったので、全国神社巡りするからブログはやめやめ😚」と4月1日に書くためにお詣りして宝くじ買おうと思い参詣。結果、つまらないネタを考えた己の愚かさを深く恥じるお詣りになったのでした。名前は”うしじんじゃ”ではなく”うしがみしゃ”でした。今回は文中”お詣り”でも“お参り”でもなく”おまいり”と書いている箇所が多いです。神仏どちらかへではないことを示しています。

 

目次

 

【御祭神】

牛頭天王

牛頭天王を祀る神社は明治の神仏分離素戔嗚命へと祭神が変更されましたが、こちらでは今も牛頭天王です。

【御由緒】

境内由緒看板によると400年あまりの歴史がある神社とのことです。

【田倉牛神社への道】

岡山県道96号沿いにあります。閑谷学校から少し北です。JR山陽本線三石駅吉永駅の中間あたりなのでナビも不要なくらいわかりやすいです。

県道96号に沿って山陽本線が通っています。道の南側に駐車場が二つあります。牛神社前踏切斜向かいに第二駐車場があってこちらの方が近いからおススメです。十数台は軽く止められそうに見えました。

駐車場の案内看板を見てからでは遅いので、グーグルマップにある田倉牛神社駐車場への案内をさせて、もうそろそろだなと思っていないと後続車の関係で急に止まれず通り過ぎることになるでしょう。第一は道沿いに長いので気がつきやすいと思います。

 

【👨‍🦽車椅子使用の方のための情報】

一の鳥居付近に駐車させてもらえればいいのですが、もし不可だとしたら近い方の第二駐車場から鳥居まででも100メートルくらいはあります。踏切も越えますからそこは注意が必要かと。

足の不自由な方のために二の鳥居の横に大きな牛の像があってそこでおまいりできるようです。そこまでは幅の広い石段横の坂道を上がることになります。決して緩くはないですが、押してもらって上がれないことはないと思います。

そのまま坂道を上がると大仙社横を通って100メートルくらいで牛神社の上の境内に続いています。ただし、かなり急なうえに、大仙社の横辺り等所々が数段の低い階段になっています😣

 

急な石段以外の手段が皆無ではありませんが、迂回路が長くて安全面で問題があると思いますので、多数の介助者がいない限り、下の大きな牛の像の前でおまいりがいいと思います。

 

【境内の様子】

田倉牛神社社頭

二の鳥居

田倉牛神社二の鳥居から先に行けない人のための奉納の場(遥拝所?)

かなり急な石段参道

途中で折れ曲がる石段を上がりきった所から

社殿はありませんが、こちらが牛神社の中心となる場です

この写真ではよく見えない少し大きな像があるようです。

横から

奉納された備前焼の牛達

線香と蝋燭はこちらに

大仙社

石段途中の備前焼狛犬

境内上の奥(玉垣そば)の備前焼狛犬(お名前はわからないように処理済み)

 

【おまいりをおえて】

最初に書いたように「うっしっし、これで宝くじ当たったらどーんと記事にして🤭」などとバチあたりな欲望丸出しで神社へ。鳥居横のお店(実質的に社務所、授与所になるのでしょう)で備前焼の牛(記憶だと1200円だったかと)を買いました。おまいりのための線香と蝋燭のセットを一緒にレジに置くとライターを貸していただけました。この時に初めてのおまいりということで、ご主人から牛神社のおまいりの仕方についての説明を受けました。また、牛頭天王の小さなイラストもいただきました m(__)m ありがとうございました。今も財布に入れています。

 

真面目に神社(と信仰)を大切にされているのを強く感じ、こちらも気持ちを入れ替えて参道を進みました🙏😌

 

すると……第二の鳥居横からとにかく牛、牛、牛! 🐄 🐄 🐄 🐄 🐄 🐄 牛、牛、牛! 

 

これはいくら写真を見て想像しても足りないくらい牛😅

 

石段参道がけっこう急で息があがりました。二の鳥居の向こうは異空間そのもので、数十万とも言われている備前焼の牛の前に来るとそれはさらに重いものに。霊的に嫌な場所のような感覚とは違っていましたけど、普段お詣りする神社の軽さとは全く異質。空気に圧がかかっているような感じで息があがるのとは別に、呼吸に力が要りました😲

 

以前にも牛頭天王を祀る木山神社奥宮でなんともいえない圧を感じたことがありました。人の思念がこもる無数の物体の有無に関係なくそうだったことから、牛頭天王特有の気なのかもと思いました。

 

おまいり後に順路に従って舗装された参道を下って行くと途中で重さが無くなりました? とても不思議な体験をしました。やっぱり、お詣りに来る途中でうっしっしなどとつまらないことを思ってはいかんのでしょう。猛省しましたm(__)m 車椅子で下の牛の所でおまいりする方は上の空気感はわからないかもしれません。

 

田倉牛神社から大仙社へのルート途中には小さな神社(祠)が幾つもあります。こちらにも牛がたくさん奉納されています。よく稲荷の祠に白狐像が何組も置かれてあるのを目にしますけど、色が少しずつ違う備前焼の牛は独特な雰囲気。

 

私の備前焼の牛はこれです。色合いが好みなのでもう一つ似たものと迷った結果、最初に見たこの牛を連れ帰りました。

正式には買った牛を奉納して、誰かが奉納した牛を替わりに一体持ち帰り、願いが叶ったらそれと新しい牛を買って二体を神社へ納めるそうです。ですが、最近は自分が気に入った牛をそのまま(一度お供え後に)持ち帰るのでもいいそうです。私はそうしました。牛の備前焼も少しずつ変わっているらしく、昔の物を探すのも楽しそうです。どちらにせよ大切なことは牛に込められた御祭神様への敬意ではないかと。持ち帰った牛は大事に保管しましょう。

#うっしっし🤤などと言っていた人間が書いたとは思えない最後の文。

 

私の願いは世の流れを考えるとたぶん叶うことのないものです。ですからこの牛はずっと我が家の縁起物として居てくれることでしょう。お願いが思いつかない方でも、備前焼の縁起物ということで自宅にお迎えしたい方は一度おまいりされてはいかがでしょうか? 

 

田倉牛神社は地元の方々にとってとても大切な場、そして日本人の信仰心は何かを考えるきっかけになるかもしれない綺麗ないい神社でした。

和氣神社(岡山県和気郡和気町藤野138)

和気町の神社ですぐに名前が挙がるのがこちらの和氣神社(以後記事内では和気で)だろうと思います。和気清麻呂公は奈良から平安への歴史で必ず名を目にする人物でしょう。吉備国では吉備真備公と和気清麻呂公が有名です。雨が心配でしたが人も少ないだろうと出かけました。

 

目次

 

【御祭神】

鐸石別命 弟彦王命 佐波良神 伎波豆命 宿奈命 乎麻呂命 清麻呂命 広虫姫命

応神天皇(相殿:境内由緒看板祭神の項目より)

応神天皇以外の神々は岡山県神社庁和気神社ページより。

御祭神の中では清麻呂公と姉の広虫姫がよく知られているようです。

 

【御由緒】

岡山県和気郡和気町で御祈祷なら - 和気神社

和氣神社|岡山県神社検索|岡山県神社庁

#最初は公式サイト

境内の由緒看板

 

和気神社への道】

東西は国道2号、南北は国道374号が近くを通っています。東からだと岡山兵庫県境付近で岡山県道96号へ入ると、道なりに8キロくらいで神社の少し南まで来ることができます。日笠川の左側を進んでもいいのですが分かれてからしばらくは民家の間の道が細いです。もう少し進んで県道46号から神社へ行くこともできます。車だと対して遠回りではありません。

 

西の岡山方面からだと伊部から国道374号を北上すること7キロほどで県道96号に出ます。そこから西へ約2キロで左折して県道46号へ進めばあとは1キロ少々で和気神社(正確には藤公園駐車場)前です。県道46号は下の写真では奥になります。

この神社は普段は駐車場の心配はしないでお詣りできます。600台と書かれていますから😮 広いです。

【👩‍🦽車椅子使用の方のための情報】

関係者? の見送りに社務所から出てこられた男性神職(宮司さんだと思います)におたずねしたところ、車椅子使用等歩いてお詣りが難しい方は自動車参道で車のお祓いを受ける人が上がる駐車場に駐車可とのお返事でした😂 一の鳥居からそのまま橋を渡って清麻呂銅像の左から自動車で上がれるそうです。

二枚目は駐車場から参道を撮ったものです。道幅は充分な広さがあります。

ただし、お正月や行事等(イベント)で多くの参詣者がやって来る時期は難しいそうです。上の駐車場は10台くらいは駐車できそう? そうした時を外してなら安心してお詣りできますね。

駐車場が未舗装なために(雨天などは足元がドロドロになることもあるでしょう)もっと社殿よりの舗装部分(そこが車のお祓いをする場所)でもよいそうで、本当にありがたいことだと思います🙏😌

 

清麻呂公が歩けるようになったわけと猪との関係が今に伝えられています。その人物が御祭神となっているだけに、足が不自由でお詣りが困難な方にも優しい神社なのでしょう😄

 

境内社や本殿は一段高くなっていますので車椅子のままでは難しいですが、拝殿前には行けますのでお詣りは可能です。

 

 

【境内の様子】

和気神社社頭

日笠川にかかる霞橋を渡って一の鳥居を振り返る

和気神社境内案内板(写真を撮って各部の名称を見ながらお詣りできますね)

二の鳥居と石段参道

随身

社殿への最後の石段

石段上から随身門を

拝殿

幣殿と釣殿(斜め後ろから)

本殿

本殿向拝を拡大

境内社(社殿左右にお祀りされています。こちらは稲荷神社)

境内社(天神社)

境内社(大神宮)

境内社猿田彦神社

和気清麻呂銅像正面

清麻呂銅像背面

清麻呂公石像と広虫姫石像

清麻呂公略伝

広虫姫略伝

隋身門左右大臣像

狛猪石段下

狛猪拝殿前

霊猪の解説板

大絵馬

 

【おまいりをおえて】

子供向けの日本史の漫画シリーズがありますよね。清麻呂公は平安京への遷都で知りました。道鏡事件でなかったのは、読んだのがたまたま平安時代の巻だったからです😅 閑谷学校を観に行ったり、兵庫へ行くのに2号線をよく通っていたからお詣りしようと思えばできたのでしょうけど、当時は神社(正確には記紀神話の神々)を恐れていたので全く興味なしでした。長い時を経てようやくご本人にお会いすることができて一区切り。

 

国幣社ではなく一宮でもない県社です。地方豪族の氏神ですからそれは当然といえば当然です。ですが、道鏡の件や平安遷都など皇室と深い関わりがある人物が御祭神ゆえか、もう少し特別なもののように見えてきます。社殿は明治以降の物ですが、もっと古くからあったのではと思ったほど立派なのも、県社なの? と思わせるのかもしれません。

 

藤公園(駐車場)から鳥居をくぐって参道を進んで赤い橋を渡ります。川を越えるというのは三途の川ではないですが、隔てられた世界を人間は意識してしまいますね。

 

清麻呂銅像横を過ぎ、鳥居をくぐって歩き出すと急激な気の変化にいよいよ神域になったのを感じます。なんというのか、ほどよく引き締まったような気持ちの良い空間でした。

 

本殿は一周できます。裏に立っていると周期的に打ち寄せてくる柔らかな圧力を感じました。痺れるほどではありませんが、少しポカポカした暖かさもありました。

#神域の気の感じはあくまでも個人がその時そう感じた(思った)だけのことです。他の方は全く異なるかもしれません。

 

神職常駐の神社ですので、境内は非常に綺麗に清掃されていて清々しさ(参詣者の気持ち)が損なわれることはありません。

参詣者はどうしても拝殿へ急ぎがちになるので案内を見落とすのを考慮してか、ほぼ同内容の案内看板が随所に立てられていました。これなら、たまたま立ち寄った方、ネットで調べものをされない方も神社について知ってきちんとお詣りできるのがいいですね🙂

 

全国的にも珍しい狛猪🐗が有名です(神社好きの間では)。神様は人間と同じお姿だけどご眷属様(神使)は動物の姿で知られています。神と人との結びつきだけでなく、動物で表される様々な存在との共存をここから学べると思います。どれだけしっかりムスビつくかが人の霊的な安定と成長には欠かせません。小さな子供は像で親しみを覚えてその先へちょっとでも進んでくれたらいいなと思っています😁

 

普段お守りはお受けしないのですが、ネットで他の方が受けられた足腰のお守り写真を見て、膝があまりよくない自分も受けて帰ればよかったかなと少々後悔しました。

 

和気神社は地方出身の偉人を祀ることで、神話の神々の神社と違って、土地と人の関わりの積み重ねを思い出させてくれる綺麗ないい神社でした。

 

おまけ

歴史民俗資料館が清麻呂公像の反対(右)側にあります。なにやら妙なものが入り口に? と思って帰りがけに近づいてみると岡山県が舞台の推し武道のパネルでした😊 

推しが武道館いってくれたら死ぬ - Wikipedia

推しが武道館いってくれたら死ぬ|COMICリュウ

人気作品だから今更説明は要らないと思います。

おたぬきさま、ありがとう😊🙏

私の住むあたりにはたぬき(祭神あるいは眷属)の信仰はありません。備中国には魔法様と呼ばれて信仰をあつめたキュウモウ狸を祀る神社が数社ありますが、それ以外は聞いたことがありません。

#この記事、後半はいつものアレです。

 

a-wi.hatenablog.com

稲荷だと独立した神社がぽつぽつあって、境内社として祀られている稲荷はかなりの数になりそうです。

 

稲荷のお狐様🦊ならどんな感じか感覚的に理解しているのです。それがおたぬきさまとなるとさっぱり😅

 

ネットでたまたま知った人がいて少しおせっかいをと思いました。でもどう接触しても不審者です、私は。結局、明確にお断りされなかったので勝手にすることにしました。

 

問題の場所は讃岐高松。やむなく自宅よりお願いをしました。

 

以前書いたことがあるかもしれませんが、いくらご縁があっても定まった手続きというものがあります。神社でお願いしないと本来はダメなのだそうです。神と人の交流の場として整備された場所で(緊急事態でない限り利用して)行うべきであるとのこと。

 

それでも普段からお詣りしている神社なら自宅からの遥拝の形になるでしょう。今回は面識がないのにアポなし突撃です。門前払いでも仕方ないのです。でも、おたぬきさまはイレギュラーな形でも(今回は)OKしてくださったので後はお任せでした。最低限の礼儀として、必ずお礼参りをすることはお伝えしました。

#イレギュラーでも大丈夫だった理由があります。だけどそれは書くことができないのです。

 

半年後、お願いが叶うかと思えたのですが、その時は形にはなりませんでした😓

 

私の心も”やっぱりダメなんだろうか”に傾いたり、”いや引き受けてくれたのだからいつか必ず結果は出る”の間で揺れ動きました。良く知らないことから、ずいぶん失礼なことも思った覚えがありますm(__)m

 

年が明けてお願いの一部が叶った時に詳細を伺いました。私は三つとお願いしました。残りは二つ。遠くない日、必ず叶うと信じて待ちました。そしてお願いは完全に叶えられました😂

おたぬきさま、ありがとう!😂

いつもお世話になっている神様もありがとうございます🙇‍♂️

 

他者に期待させて結果がダメだと、それは殴ることに等しいです。腹を切る(比喩です)しかないのかと思った日もありましたが、リミットまでの半分の時間でめでたしめでたし。

 

おたぬきさまの社は高松市三伏大明神(しょうふくさん)です。江戸時代は玉藻城に住んでいたのはだてではないですね☺️

 

いつもは神様への手土産はカップ酒です。今回はさすがにそうはいかないでしょう。四合瓶純米酒くらいは用意しないとと考えています🥰

 

本人がしなければならなくてもできない時もあります。その時に他者が代わりに願うのは神様もご眷属様も拒否はされません。

 

神社でお願いはありませんという人はいます。我欲は放出していないのは確かに良い事です。もっと良いのは損得抜きに己の力を他者のために使う願いです。お願いはありませんには、己は幸福だからそれで充分の思いがどこかにあるのです。

 

人が神様やご眷属様に対してできることは、人と人が作る世にわずかでも良き力を放つことです。

 

自分を満たしてから他者の助けをと多くの人が主張されています。それに対しては一定の尊重をしつつ、私は満たす器の大きさは決まっていないことを理由に賛同はしません。

 

湯呑レベルの我のために力の大半が他者への力となるものと、バケツやドラム缶レベルでどれだけ満たされていても溢れさせないのとではかなりの違いです。

#心あるいは霊的な満たしのことですから、条件を付けた時点で大事なことから遠ざかっていると感じます。もちろん、己が空になっているのにするのはよくないです。ガス欠車は困りますよね😅

 

極端な話、まだ不完全だから神や仏の領域に達したら助けますなら、いつになってもこの世はむさぼりの世界から一ミリも変わりません。

 

どんな状態であってもそれに応じた努めがあると私は思います😌

 

人、これは家族や友人のことではなく何の縁があるのかわからない他人のこと、こうした人の助けを願ってください。想いの循環の中に神も人もそれ以外の存在も次元を越えてひとつになる(行為を通して改めて知る)喜びは一度味わうとこの世だけの喜びを霞ませていきます。

 

喜びを求めることは否定はされていません。その人によって違うのも否定はされていません。でも、自分で自分の喜びがわかっていない人もいる。何が自分が真に求めるものなのか、神仏が願っていることなのか、自分で試して解き明かすのは人の喜び。

 

その過程での喜びの一例でした。

雷神社( 岡山県小田郡矢掛町里山田2464)

別の神社の参道があまりに細くて不安になり、走りやすい県道から真っすぐに幅のある参道が延びているこちらの神社にお詣り先を変更。神社名は”かみなり”とか”いかずち”と思っていたら、”なるかみ”という名前でした😮

 

目次

 

【御祭神】

雷神 雷鳴神

岡山県神社誌より

【御由緒】

雷神社|岡山県神社検索|岡山県神社庁

【雷神社への道】

矢掛町の国道486号沿いにある道の駅の所(矢掛町元町交差点)から弦橋を渡って岡山県道64号を南へ進みます。1キロほどで以前お詣りした崇道神社前に。

a-wi.hatenablog.com

そこからさらに1キロほど進んだ右側に常夜灯があります。写真は通り過ぎた所から撮ったものです。

常夜灯間は軽自動車で左右に40センチくらい? 余裕がありますがミニバン等の大き目な車だとギリギリに感じるはずです。この10メートルほど手前(↑の写真だと右側)に常夜灯を避けて斜めに入る道があって、そちらはミニバンでも余裕で通れるような道でした。

 

参道約200メートル先には鳥居があります。ここは2メートル50センチくらいの幅ですが、注連縄のしめのこが垂れていて2メートルくらいの車高だと当たりそうです😅

 

駐車場らしきものは見当たりませんでした。他の方がUPしている写真で見ると鳥居左右に駐車スペースがあるように思えたのですが、そこは細い道でした。横の土地はふかふかでタイヤが沈むので駐車は少し難しそうです。

 

鳥居の左へのびている道は自動車参道ではなく、別の神社(同じ山だから摂末社?)への道でした。小雨が強くなってくる予報のためにのんびり確かめる余裕がありませんでした😢

【👨‍🦽車椅子使用の方のための情報】

鳥居の次にある注連柱の間を通って少し急坂(参道)を上がると随身門手前で道が右へ分かれます。

そのまま神楽殿? 横へと繋がっていました。

随身門から先は段々に整えられた境内。あまり広くはないので慎重に進まないとダメだと思いました。

 

本殿のある段は石段で上がりますが、自動車参道から細い道が本殿横へ延びているので車椅子を押してもらってそばへ行くことは可能に思えました。ですが、大きな石だらけの凸凹道です。可能かと言われれば可能だろう道くらいに思ってください。

 

参道の幅は2メートルより広いので軽自動車でなくても走れるみたいですけど、上で書いたように社殿付近はあまり広くないので、やはり軽自動車くらいまでかと。それに参道の真ん中と両端はこけが生えているので濡れていると乱暴な運転では滑るおそれがあります。

 

ネットでは神社名でお詣りした記事がすぐ出てこないことから、他所からの参詣者向けの案内をする必要が今まではなかったのかもしれません。通行禁止のロープや車止めはありませんが、宮司さんに事前に許可をいただけた場合だけ通るのがよいように思います🙂

 

地元の方が大事にされている神社には敬意を持ってお詣りしないといけませんから。

 

 

【境内の様子】

参道入り口常夜灯

雷神社鳥居

扁額には雷師宮の文字

注連柱

注連柱前の風景

高い杉の間を一直線にのびる参道

随身

左右大臣像

割拝殿(たぶん休憩所を兼ねるのだと)

割拝殿から随身門を

本殿

本殿をUPで

本殿の絵馬

社殿全景

社殿遠景

楽殿

境内社岡山県神社誌には疫神社とありますがそれがどこをさすのかは不明です)

 

【おまいりをおえて】

民家から少し離れた山にある神社なのに、実に綺麗に保たれているのに驚かされました😮 注連柱から随身門までの参道は100メートルくらいです。両側は高い杉の社叢です。風の強い日もありますので、参道に枯れ枝が散乱していても不思議ではありません。なのに、小枝が所々に落ちている程度です😃

 

割拝殿内の土の部分は割拝殿の写真でわかるように掃かれた跡がはっきり残っています。杉の間を通り抜けて賽銭箱前に立つ頃には、神域にいるという意識に変わっていることでしょう。

 

安心して駐車できる場所があれば、大勢が良い気を浴びて気持ちを新たに日常の課題へと戻っていける神社だと感じました。

 

岡山県神社誌によると、本殿、幣殿、拝殿とありました。確かに社殿は三つです。賽銭箱があるので拝殿のように思っていましたが、そこが幣殿と言われれば位置的にはそんな気がします。他の建物を含め、今回の写真の名前はよくわからないために適当につけています🙇‍♂️ 

 

境内に満ちる気は鳥居をくぐった瞬間に……とはならず、杉の間を歩くとゆっくり変わっていくのがよくわかります🙂 晴れている日だともっと軽いものを感じていたかもと帰宅後写真を見ていて思いました。

 

本殿裏では圧力よりも次第に体が暖かくなるような気持ちよさを感じていました。

#あくまでもその日個人がそう感じただけです。他の日では違うかもしれません。また、他の方も当然違うことでしょう。

 

雷神社は常夜灯から本殿まで一直線に伸びる参道を通って山の気を感じられる綺麗ないい神社でした。

 

追記

こちらのブログ”岡山の古墳を訪ねて”の下の記事を読むと社殿周辺は古墳とのこと😮

雷師神社古墳群 - 矢掛町

古墳にある神社はたまに目にします。

 

この場所がたまたま選ばれたのか、昔から岩が積まれた場所があるから祀るにふさわしいとされたのか、ネットでは全くわかりません。ただ、岡山県には磐座は多いし、そこに小祠があることも多いので、もし何か関係があったなら面白いですね。

お前、勇者にならねーか?

ここのところ暗めの話ばかりだったので少し明るい話をと思います🙂

 

勇者モノ? 何人かでパーティーを組んで魔王を倒す作品は多くありますね。倒した後の話で大人気なものも😁 フィクションは登場人物に感情移入すると楽しいです。

多くの作品が異世界を舞台にしていますが、考えようによっては我々皆異世界にやってきているようなものだから、自身の日常を作品にすることは可能です。

 

私の守護霊チームは勇者パーティーのように、それぞれ違う役を担当してサポートしてくれています。私のと書いているのは、この世にいるメンバーが主人公になる(のがこの世の)設定だからです。

 

日々発生するトラブルに対処して疲れて眠り、また朝が来て、時にはとんでもない敵と戦って撤退することもありますね😅 出会う人の思い出を積み重ねて今日も歩いて行く。

 

嬉しい事があれば(見えないけど)共に宴を開き、苦しいことは弱音を吐いた後にまた気持ちを強くする😤 最弱パーティーでもいいじゃないですか。ここから少しでも成長して、強敵もいつかは倒せる日が来ると信じて戦えば。

 

いつ終わるのかわからない旅だけど、最後までパーティーメンバーと歩き続ける。

 

いつか旅の終りに故郷に帰り、歓迎されて苦しく楽しかった日々を懐かしむ。

 

話の途中、居酒屋で隣のテーブルで飲んでいるパーティーはモブかもしれない。でも、そのパーティーの物語ではこちらがモブ。皆が記録されるべきパーティーなのは間違いないです。

 

勇者パーティーの記録保管庫に自分達のことが書かれた本が収められる時まで冒険は続くのです。

 

追記

忘れていました。解散する時は「ありがとう。最高のパーティーだった」と言って終わりましょう。

こんなことができるのもある程度心に余裕があるからだとは思います😌 過去の私では難しいなと。もしできたら少々の事は笑って歩いて行けると私は思います。昔世界を呪っていた私に、多くの技を覚えて自信を持って剣をふるう私を見せてやりたいです。

 

私勇者の物語を楽しみに見ている異世界(あの世)の人達をもっと楽しませてあげましょう😊 あちらに還った時に感想を聞かせてもらえるに決まってますから。「私勇者面白かったぞ」と神々から言われたらこれは素晴らしいことでしょうね。

存在しない権利の主張は誰に向けられているのか?

なんのことかと言えば、自由に死ぬ権利のことです😔 人の寿命は決まっています。自己都合で変えることは明確なルール違反です。記事タイトルは、存在しなくなる=死を選ぶことと、権利としてそもそも存在しないものの両方を表しています。

#あちらと協議の上での変更は絶対にないわけではありません。容易なことではないと付け加えておきます。

目次

 

【自分の命?】

自分の命というものは存在しません🙅‍♀️

 

こう書くと生きているのだから命はあるし、自分の身体だから自分のものだと主張する人もきっと多いでしょう。というよりほぼ全員かもしれません。

 

命は器(身体のこと)を動かすエネルギーのことで、中に入っている存在そのものの力になります。自分とは違う何か命という見えない固まりがあるのではありません。器は各自に貸し与えられているこの世のための道具にすぎません。寿命は器に設定された使用期限をそう呼んでいます。

 

他の存在とエネルギーがあれば道具である器は使用期限までは動き続けることが可能です。飛行機をイメージしてください。機長が操縦しても他の操縦士が操縦を代わっても飛行機は何も変わりませんし、飛び続けます。この場合だと動かしている”自分”は一人ではないのだから自分(だけ)の命は当てはまりません。これに該当する人数は少なくてもそれもシステムだから、自分の命(器)だから自由にできるを根拠にした主張は侵害あるいは越権以外のなにものでもないのです😔

 

繰り返しになりますが、”自分の命”などというものは存在しません。期限付きの道具を内部のものが動かしている状態を生きると三次元限定でそう呼んでいることからの錯覚です。

安楽死尊厳死、自殺】

寿命が来るまで生きないことは全て何かしら問題があるとのことです。上で書いたように、間違っているのは自分の命だから自分に決定権があると思い違いをしていることです。

 

今の人間は自分が思ったことはその通りにならないとおかしいと思い、他人が自分のためにそうしなければならない権利が自分にある、がおかしいと思っていません。

 

そうではありません。車で説明します。

 

あなたはレンタカーを旅行先で借りました。自分が手配したのではなく鍵を渡された車です。長く乗っているうちに細かいトラブルが起こりました。嫌になったのでもう動かないように壊して乗り捨てました。これは全部車を用意した誰かが悪い!

 

この主張は当然だと思えますか?

 

車と人は違うと言いたいのは百も承知です。でも向こうから見たら何も違わない。許されていることと許されていないことは何にでもあるという話です。

 

安楽死尊厳死、自殺は同じようで同じではないそうです。行為と心がどうとか。どう違うのかは書きませんからご自身で考えてみてください。自殺は一言で片づけられる問題ではないのは確かです。

 

追記

一律といいがたい部分まで一律のように最初書いていましたので、一部書き直しましたm(__)m

【この世とあの世の循環】

この世は己が動くことで学ぶ場です。そして場を使うルールが幾つか定められていて、それに則っての行動が求められます。場の維持のために各自に求められていること、これがこのブログで責務とよく書いていることです。

 

本の学校で皆が掃除しているのを見て不思議に思う国もあるらしいですね。これは、日本では皆で維持している世界だと言葉でなく誰でも形で理解できるようにしているのです🙂

 

この世で各自が学ぶ中で果たすべき責務はあくまでもこの世限定です。駅伝のたすきと同じで、自分が終えてこの世を去る時に次のこの世を生きる者へと渡されていくのです。こうして人が巡るのがこの世とあの世の決まりです。

 

寿命前にたすきを放り出したり、無関係な者に渡すとつながらないから正常な進行を妨げます。

 

それはこの世だけでなく、当然ですがあの世側もそうなります。走り終えたランナーの世話とは違うことになりますから。

 

あちら側だけでは大変なためにこちら側の専門家が今も新たに動員されているのが現状なのです。

【結論】

社会は、自分が楽であればいいを越えて自分が楽でなければおかしいまで来てしまいました。楽しみは己が、苦しみはお前がの我良しは神仏の心とは遠く離れてしまっています。

 

自分の命と言いながら、自分の人生(命)を楽な間は肯定し、苦しくなれば否定する。これのどこが自分なのか。

 

途中で終了することの大きな理由である重い病気の苦しさは誰もすすんで味わいたくない三次元の付属物。私も正直に言えばあまり味わいたくはありません。でも三次元にいるから人生によっては受け入れるしかないと思っています。

 

霊のことはいろいろ教えてもらいましたけど、本当はまだわからないことだらけだと思います。あえてこちらにわからないようにしている部分は間違いなくあります。だから主張がお願いにもなり、命令にもなる。その相手が誰なのかを思うととても難しいことです。

 

自由に死ぬ権利はない。それは裏返すと、あなたという存在が否定されていないことでもあります。死ぬのはちょっと置いておいて、ここだけはじっくり味わってほしいです🙂