新米はあるが新嘗祭までは食べません。別に食ったからといってバチが当たるのでもないです。なぜするのかといえば、日本人に生まれたので今回の人生は日本のことでできることはやって帰ろうというだけなのです。それまでは古~い米にもち米を混ぜて美味しくいただきます😋
収穫祭はどこの人も古代から行ってきた祭りですね。祭りは皆が集まるもの。あえて特別な祭りの日を待ってから食べることで、その年の収穫を大勢で食べる共通(共同)の体験となります。皆で一緒に釜で炊いて食べなくても、その地の民がそれぞれの家庭で喜びの気持ちを発するのも皆でです😊 今は他の家庭の様子を知りたければSNSでわかりますね。
その皆での中に神様やご眷属様も含まれるのがいいなと思って、神社におにぎり🍙をお供えに行くことをこの五年ほど続けています。過去記事(昨年分)を貼ります。
稲荷神社が氏神様な方は、お狐様🦊も油揚げばかりでは飽きてしまっているかもしれませんから、たまにはおにぎり🍙などどうでしょうか?
始めた頃は大中小のおにぎり🍙x神社数を一度に用意してお供えに行き、お詣りしたら次の神社までに備えたおにぎりを食べていました。三社くらいで腹がたぬきさんになって終了。残りは持ち帰っていました😅
一昨年くらいからは二度に分けて自宅から見て東で一日。別の日に西に。これなら最後まで美味しく食べられます😋
すると、最後の米を飲み込んだ時自然に「神様、ご馳走様でした」となるのです。
飯は後天的な命の元です。何を食べるかは大事ですけど、どんな思いで食べるかも同じくらい重要なことです。