神頼みではありません。血が避けられない病や怪我は仏様に、それ以外は神様にと頼る相手を私はかえているのです。そして今回は血が伴う時の仏様の話です。
私が物心ついた時に知らずにお世話になったのは薬師如来でした。それから長い時を経て現在意識して頼る存在がお薬師様に。これはたぶんご縁というやつでしょう。

お薬師様と日光・月光の二人の菩薩、それに十二神将の方には短い期間に本当に何度も助けていただきました🙇♂️



他者のことですが、良い先生に巡り合えるようにとか、手術とその後に期待していることは何かをお伝えしたら、その通りの結果を与えてくださいました。
我が眷属(ペット)の病も少し時間がかかりましたけど、私の限界まで頑張ったら望みは叶いました。眷属は今とても元気で少々困るくらいです😊
十二神将は十二支に対応してと言われていますが、私がお世話になっている神将は生まれ年の十二支とは違います。いつも同じ方が力を貸してくださっているので、もしかしたら十二支とは別に何かの縁で、生涯この神将がこの人間の担当と決まっているのかもしれません🤔
お薬師様がリーダーだから最初にお薬師様にお願いをした後にいつもの神将の方にお願いをしています。この時にはこの方のお名前を呼ぶのですがここでは書きません。以前書こうとしたのですが、そんなことはよいとのお返事でやめました。今回はお名前は出しませんと約束して書かせていただいています。十二神将は神様だから人とは違って名前を売る行為等に何の興味もないようでした。もしかしたら、人が手を合わせるのは薬師如来を先に意識してということなのかもしれません。
お薬師様が病を癒す仏様だから治ったという結果はわかりやすいです。ですが、その前から既に不思議なことは起きていると思っています。
お願いをして引き受けていただいたら病人本人の心に明らかな変化が見られたのです。一例を書くと、手術をひかえた患者がお薬師様へお願いをしたことを聞いて不安なく穏やかな気持ちで当日を迎えることがありました。お願いした時点からすぐに動いていただけたようでした。
#こうしたことは神仏共にありました。
安心して仏さまにお任せできたら不要な暗い念を放たなくてすみます。それは様々な面で良いことだと思います。
さて、これはお薬師様のおかげだと思ったらお礼参りをすると思います。お金があれば豪華な供え物もできますがいくら大量に高価な品を積んでも、仏様のご加護に対するものとしてつり合いは全然とれないでしょう。
このことで長く悩みました。ですが次元の違いは己のできる範囲を越えていることだから、人としての礼を尽くせば人間の側はそれでいいのだと思うことにしました。そもそも、仏様(の一団)の御加護と人間のお礼が等しくと思うのが思い上がりでしょうね😅
仏様個人に対しては感謝の念とお供え物でいいとしても、仏様がこの世に与えてくださったご加護のエネルギーに対してはまた別に考えないといけないなと思いました。
そこで、お返しの上下の流れの代わりにこの世での水平な流れをひとつ作ることにしようと考えました。
目に見える善行も良いのですが、これは人に見られると己への称賛の想いが発生するなと意識してしまいがちかと。これではダメでしょう。だから、目には直接見えない思念の点で改善することを選びました🙂
例えば、お年寄りがレジで支払いにもたついていてもイライラして心の中で悪態をつかずに、悪意はないのだからと穏やかな気持ちで待ち続けることができれば、優しい想いを自然に放射することになって、暗い思念を出した場合のマイナス1がプラス1になります。さらに後ろの人が毒の念を放っていたらそれに対抗する放射にもなりますから、人によってはプラス1ではないかもしれません。
仏様から与えられたものが、これで仏様とこの世の人とふたつの流れにすることができました😌 多くの菩薩の方々を見習って、何かひとつ今の自分でできることをしてみることは不可能ではないと思います。
神仏にお任せするのは丸投げとは違います。信じるという人にとっては至難の業をこちらの分担として実行することです(と思うのです)。双方で変化を起こすことをいつも心掛けています。
私はお薬師様とその一団(十二神将の中のある方を特に)を頼る喜びとそれを認めていただけた嬉しさを心の支えにしています。明治に神仏分離しても個人の心から神と仏を離す必要は全くないからこそ、どちらも身近に感じるのでしょう。
#”私”が特別扱いされたと思って喜んでいるのではありません。
人生を振り返ってみるとなぜかこの方がよく登場していたなと思う仏様が皆さんにもおられることを願っています😌🙏
現実逃避の更新もここまでかな。この後の記事はまだ下書きもありません😅