封印記事”女神の玉手箱”の内容を変えて一記事にしてみるかなと思ってサッと書く。神社巡り記事は時間がかかって連続はきついんじゃ😅
目次
【横の循環と縦の循環】
横というのはこの世のことなので人間関係での様々な有形無形のやり取りになります。これは生きている間常に己と共にあるのでわかりやすいと思います。
縦というのは一番身近なのは守護霊のことです。次は人生によって様々な関係になりながら影響しあう霊達。上は記紀神話やお経に登場する神仏までになります。
これら縦と横にエネルギーが留まることなく流れ続けることで世界は成り立っています。

この世の者に何らかのエネルギーが贈られる時には二人三脚で人生を送る守護霊も無関係ではありません。
あの世の者に何らかのエネルギーが贈られる時にはこちらに別の形で返ることになります。形は様々ですので一概には言えないのですけど。
【エネルギー量の違いによる難しさ】
この世の者で質の違いを正確にとらえるのは一種の才能ですから、それは横に置いておいて、量の話にします。
人間一人一人の最大値は決まっています。その人生での霊的な発現状態(本当は専門用語がありますが、それを書くと知った人がほぼ間違いなくイキリのために使うからこのブログでは書かないように言い換えています)による上限があります。何度か登場した分身さんはこの状態が平均値と違い過ぎるために膨大な霊的エネルギーを持っているのです。
分身さんは極端としても、霊的に成長していると量が多いから他者へ渡すのにも余裕があります。
他方まだまだこれからの若い霊(が器に入ってその段階なりの力だとしたら)は余力がありません。
最初は互いに霊的エネルギーのやり取りがあっても、長い間には余裕が無い方が相手の圧倒的な量に合わせられずに疲弊してしまうのですね。こうなると余力がある方が離れて調整しないといけなくなります。
自分が成長したから相手と合わなくなったのは、自分の方が質が高くて上だからとイキリまくる姿はネットでもよく目にします。実際は質だけでなく量の問題です。
相手に向けても向こうがこちらへの流れを作らなくなりますからどうやっても見た目上の関係は終りにならざるをえません😔 それでも非常時には守護霊さんに対しての循環を起こすことはできます。でも、相手の負担を考えたらこの方法はみだりに使えないでしょう。
自分にどんな流れがあったのかは向こうに帰らないとわかりません。知らずに多くを受け取っていたら驚き半分申し訳なさ半分?
【おわりに】
上で書いたことは生きている間に気がつければ素晴らしいですけど、普通は無理です。三次元では仕組み上そちらの方が都合がいいのでしょう。
気がつかなかったことを悔やむことはないです。ですが、相手が向けていても無視することは慎重にした方があちらに帰ってからが楽だし、こちらにいる間も影響します。
もっとも、これは相手との関係次第です。家族親族、友人から職場の人達、何かの知り合い、全く同じではないです。
離れる時は、不完全だったかもしれないけどこの世での関わりにありがとうと思ってしたらいいのかもしれませんね🙂
三次元の器に入っているのは瞬きするような間で、器が無い方が遥かに長いことを理解したら、この世で見える助けだけで判断するような愚行は減っていくはず。
捨てる神あれば拾う神あり。
救われていたんだとあちらで知った霊は自らも救う側になろうと思うそうです。縦横の別を越えた循環を起こす者の誠の心という宝がこの世には確かにあります😌
追記
こんなこと常に思ってたらこの世で経験を積むのが大変になるから、他者に今よりほんの少しだけ敬意を持って生きたらそれでいいのだと短くまとめておしまいです👋