ほわほわ神社生活

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神社が暮らしの中にあるおっさんのちょっとだけ変わった日常です。主に岡山県広島県の神社巡りをしています。神社巡りの記録や神社のことで思うことを書いています。

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霊的新陳代謝?

この記事は、前記事を補足するものになります。細かな点がこうなんだというよりも、流れ(動き)をイメージしやすくなるかなと思って書いていますので、そこに注意して読んでくださいm(__)m

 

この世の人間は身体(器)を維持するために栄養分を補給して器を常に少しずつ作り変えているのは言うまでもない話。必要な栄養が偏れば不調になりますね😑

同じことは中の霊的な部分についても起こっています。エネルギーは取り込まれたり、外に放射されたりしています。これは器同様に意識せず行われています。ではそれだけなのかと言えばそうではなく、意識的に取り込むことも可能です🙂

 

霊なので物質ではなく、他者の意識の力を強く受けたエネルギーが上記のことに当てはまります。他者から受ける霊的影響は相手があまりにも強いと、取り込む自身へ作用し過ぎになりがちです。相手がきちんとコントロールして合わせてくれたら安全です。

 

赤ちゃんが離乳食から固形物を始めるように、与えられるエネルギーに対して意識的に霊的な咀嚼を行う訓練が必要になるでしょう。この他者由来のエネルギーを全く取り込まないようにはできません。それも含めて新陳代謝は行われますので。

 

誰かから受けるのと反対に、相手が霊的な実りを得られることを願うと自分から相手にエネルギーが移動します。

 

こうした霊的なエネルギーの循環の内にあるために、自分の外に壁や繭を作って淀ませると霊的な不調が始まり、やがて器にも影響が及びます。この時に霊的素直さがないと、特定のエネルギーを維持し続けるための無理な働きによってさらにバランスを欠いてしまいます😔 霊的引きこもりはよいことがないです。

 

a-wi.hatenablog.com

霊的素直さがない人間は成長(でも変化でも個人の好きな言葉でかまいせん)が遅くなるかすぐに頭打ちになります。実にもったいない話です。

 

霊も新陳代謝することを認めたら、常に変わり続けている”決まった形のない私”こそが私であり、霊の歩みの中で”固定されたある一点の私という虚像”の崩壊を恐れることはないといつかわかることでしょう。その時己の内には恐れと反対側にあるものが輝きだします🙂

 

現代人は根底に恐れを持ちすぎています😔 これが様々な、味わって理解すべきものとしてのネガティブな感情(経験)以上のものを生み出して藻掻く自作自演の元です。この状態では対極にあるものが制限されてしまっているわけで、それが弱まると上記のように輝きだすというのは自然な働きです。

 

自分軸とは世界を流れているものと己の内側とが共鳴することであり、淀みない流れのことです。それは結局、神仏も含む世界そのものの一部になることをさしています。

#正確には元々そうですが、自分があえてそうでなくしているのでそこが基準になっての話です。

 

最後の辺りはその人が感じなければ伝わらないことなので、己を淀ませずに日々過ごすことに取り組んでください😌 寺社の存在を考える上でも、日本では神道や仏教から学ぶのが楽でしょう。

 

追記

できるだけ短くまとめると、霊は死なんからなんも恐れることはないし、変わるようになってるんなら、積極的に変わっていこうぜ! くらいの内容です😅

 

何時間もかけて書いたことがパソコンで見ると二行で終わってしまった😭