ほわほわ神社生活

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神社が暮らしの中にあるおっさんのちょっとだけ変わった日常です。主に岡山県広島県の神社巡りをしています。神社巡りの記録や神社のことで思うことを書いています。

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逃げて楽になるのは当たり前の世界から逃げないから楽になる世界へ

この記事は年末公開のつもりで書いていました。「楽な人生はもういいのでは? 来年も逃げの正当化で過ごすのですか?」との想いでしたが忙しくて8割くらい書いた所で正月になり封印。松の内も過ぎたので再利用しようと書き直しました。

皆さんは令和6年はいい年になったのでしょうか? 霊的な山を1歩でも上がれていることを願っています。

 

私は春から忙しく中四国を飛び回って終わった1年でした。先が長いことを地道にやっていくのは疲れますがいつしか喜びに変わるものなので、振り返ってみればとてもいい1年だったと思えます🙂 ブログ的には12月が忙しすぎて今年は100記事書けそうだと思ったのにダメだったのが残念😭

 

来年は残り3つの国の神社に行けるようにもがいて頑張るのを楽しむつもりです。自作自演みたいなものですから”最後は楽しく”になると知っているのです。ある意味本当に楽な人生です。

 

目の前にある問題をただ解いていくだけは楽なものです。が、そうなるのは問題を目の前に置いたからです。それは決して楽なことではありません。苦しみの再生産をやめて後ろを向くのをやめてようやく目の前に置かれた問題が見えるのです。

 

世の中の人の多くは自己の内にある苦しみの再生産をやめようとしません。厳しい道になると霊的にはどこかでわかっているのでしょう。指摘されると己の間違いは棚上げして猛反撃がありきたりなパターンです。私は、今年からはそうした自作自演劇場に足を運ぶことはやめるつもりです。観客がいなくなれば役者も少しは演目を変えるかもしれません。今の世の中、観客がいなくなることは絶対にありませんので、無意味な仮定(ですが書いてみたかったのです)。

 

正月は終わりましたけど、冬の静かな夜は自身の中を見るのに向いているのです(私だけかも)。しまったまま忘れてしまっているものを自らに与える。これが霊的お年玉です。お年玉の質と量は自分で決められるので楽しい作業だと思います。正月(=1月)と思えばまだ間に合うから笑顔になれるのを祈っています。

 

記事タイトルの意味を書くのを忘れていました。逃げて楽になるのは自我で、逃げないから霊的にしたいことをクリアできて霊的にはほっとして楽になるのはもっと深い霊の自己です。これをすっかり忘れている人が気がつける世界にしていこう……くらいな意味です。うん、すごくわかりにくい😅

 

私らしくとか多様性とかについては以前に書いたはず。残りは同調圧力か。同調圧力などと言うのは3次元存在くらいらしい。逃げの正当化のために使うのだから、そりゃあ上の次元では逃げる意味を知っているから、そんなものないでしょうね。

 

意味が分からないなら分からないでいいのです。たんに保留しておけばいいだけ。それを問題が解けない自分が嫌だから問題の方がおかしいとしておきたい。未熟な己を中心に太陽が周っていると思っているから、こうした天動説を平然と口にするのです。

#己=地球、太陽=神々、宇宙

 

このおっさんは人間出身の女神に「おひいさま、遊びに来たよ」と笑って話しかけても、上のことは恐ろしくてようやりません。

#でも、ここまでくだけた態度はさすがに褒められません😅

 

風の時代じゃなくて風邪の時代。舞い上がるのではなく布団に横になっているのに全く気がつかない。風は止まっていないから風なのです。風に乗れるのは言い訳の錘のない者のみです。

 

逃げて言い訳の人間と逃げない感謝の人間との差は残酷なまでに開いてしまっている。サーキットなら周回遅れにされる時に見えますが、復路のない霊の道ではもう会うことはないでしょう。

 

この記事は完全な自己満足です。立ち止まるのを良いことだと思う人は誰が何を言おうとも動きません。言っても(その段階には達していないので)無駄だから歩く人はさっさと進んで去って行きます。

 

何も変わらないでいいなら生まれることはないと何度か書きました。必要だから生まれます。それは神も人も同じです。そして文句を言って他者のせいにするのは人だけです。

#少し嫌味な書き方にしたので私に文句を言うのはご自由にですが、その後は己がしなくてはならない作業にとりかかってください。

 

追記1

分からない、知らないが根っこにあります。上では皆が共有する部分が三次元の比ではないので三次元のようなことにはならないのだと。だから、わからないからあえてできることと、わからないからしてはいけないことの区別をしましょう。書いているのはただこれだけなのです。

 

追記2

追記1の3つ目の文の”わからない”はそれぞれ別の言葉に言いかえられるのですがさすがに面倒になったのでもう書きません。