ほわほわ神社生活

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神社が暮らしの中にあるおっさんのちょっとだけ変わった日常です。主に岡山県広島県の神社巡りをしています。神社巡りの記録や神社のことで思うことを書いています。

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初午の準備

今年の初午は2月6日ですね🙂 近頃お店で具沢山のご飯を詰めたものを目にすることも増えてきた感じです。より手軽に(がいいのかどうかは議論の対象かもしれませんが)稲荷神社🦊⛩にお礼詣りしやすくなったのはよいことです。

氏神境内社のお稲荷様には宮司さんがお供えをされると思い、私はいつも誰も来ないような小さな稲荷神社にお供えに行きます😌 

 

スーパーで売られている少数入りのパックをたくさんカゴに入れても、2千円も出せば多くの稲荷神社にお供えが可能なだけ買えます。反対に下のイラストのようなものがあれば、いつもお世話になっている小さなお稲荷様に特別なお供えをすることもできます。

神々は停滞をよしとされない存在。定番も文化としては大切にしないといけないでしょうけど、初午にいなり寿司がそうしたものと認められているなら、その枠の中で相手(ここでは神様とご眷属様のこと)に祭りらしく楽しんでいただこうと工夫することはきっと良い事でしょう😊

 

初午のいなり寿司が伝統かどうかは別にして、一年の中で己以外の力で上を向けるようにする(できる)機会として祭りは大きな意味を持ちます。だから、読んだ人の一部が個人の自由を主張されるだろうなと思いつつ、祭りを楽しむことは同調圧力などではないとこの際はっきりと書いておきます😤

 

誰でもいなり寿司ひとつあれば楽しめるのが初午。楽しみを自ら放棄するものに世相をなげく権利などありません。

追記:見えない存在との小さな楽しみの例として初午のいなり寿司をあげています。外に対して何かを言うことより己の内を探すのが先と言いたいのです。

 

本当は、最上のお供え物は己の人生を照らすその人の灯りです。苦難の向かい風に大きく揺らいでも消えない人の意志の煌めきです。それをお供えできる存在になっていく決意の美しさです。これは互いの信頼抜きにしては成立しません。

 

魔には好まれないこれこそが人と神との絆そのもの。初詣からひと月経って少し静かな境内でいなり寿司と共に喜びを広げていきましょう😄

 

#確認がまだですが今のところ問題に心がとらわれることはなくなったのでぼちぼち再開します。