お題がかわってしまったが全く気にしない。
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懐かしい昭和の日へ
朝起きて虫取り網をつかんで外に飛び出し、山からの水が流れる溝へ急ぐ。コンクリートの上、そばにある花壇にさされた棒の上、小さな点が見えてくる。息を殺してそっと近づく。点は膨らみ、赤トンボの姿となる。飛び立つ前に網は振り下ろされた。
指の間で震えるトンボを眺めていると自分を呼ぶ母の声。飛び去るトンボを見送り、家に入って座るは貧しくも好物の並ぶ食卓。
集合場所へ駆けるも自分が最後。近所の幼なじみ達とにぎやかに向かう学校。帰宅したら近くの公園で薄暗くなるまで遊ぶ。一人また一人と親の声で姿を消し、公園に静寂が戻る。
そんな繰り返しの昭和の日々。地区の皆が集まる秋晴れの日、御神灯が立てられ、道に沿って伸ばされる藁縄。ひらひらした白い紙が縄に付けられ、見慣れた景色は一変する。
家に帰り、その日を終える。
朝が来て皆で家を出る。風にはためく幟の下には多くの人。この日のために今住む土地から帰ってきた人の姿。今日は産土様の秋祭り。
女は集まり、酒の肴の支度にとりかかる。大鍋から漂う味噌の馥郁たる香。子供は追い出され、競って神社へ走る。
毎年ではないが神楽の年もある。幼いものには目の前のお面を付けた人が何者かはわからない。ただ、特別な空気に心は踊る。

さあ時間だ。入りきれず境内に並ぶ人の波。お社の中では祝詞や太鼓。知らない不思議な世界は厳かにそこにあった。

神社から移動する。男は集まって酒を飲み、女たちが用意した料理を食べ、次第に大きな声となり。笑い声がこだまする。
家ではちらし寿司が待っている。その前に子供は神様からいただいたお米を何粒か食べる。意味はわからないが神様のお米に神妙な顔つきになっている。
翌日、幟も御神灯も縄も外され倉庫へ。春までしばしの別れ。
子供達の心は早くも運動会に向かっていた。
おわり
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記憶の中の、皆が集まり力を合わせ笑っていたもう二度と戻らぬ我が祭りの姿。人と人が力を合わせ和を作ることは当たり前だった古き良き昭和は遠い彼方。
祭りが自然にその集落の一部だった時代も一部の者だけが繋ぐ時代も知る私の世代は、この記憶と想いをあちらに持ち帰り、いつの日か新たな形をこの世にもたらす役目なのかもしれません。
賑やかな祭りが今も残る土地の皆さん、皆で造るものをいつまでも大切にしてください。