ほわほわ神社生活

ほわほわ神社生活

神社が暮らしの中にあるおっさんのちょっとだけ変わった日常です。主に岡山県広島県の神社巡りをしています。神社巡りの記録や神社のことで思うことを書いています。

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生きるに値しない命を生んできたのではなく

夜に追記します。

 

かわいい子猫や子犬はもらわれやすいが成猫成犬は難しいのは想像できると思います。

保護団体に保護された犬猫はなかなか里親が決まらなくても、いつかはと未来に期待することはできます。

 

でも保健所にいる犬猫には未来がありません。あっという間にこの世にいられる時間は無くなって強制終了となります。毎日まんまが食べられて撫でてもらえるのを喜んでいるのは哀れ😢

ぶっさいくだと貰いたいとの希望の問い合わせもなく消えていく生きるに値しない命達。

 

高次元には人がペットにしている動物はいないのだそうです。低次元に分身を降ろす時に犬や猫を飼うのを楽しみにしている高次元存在もおられるのだとか。

見える眷属がいなくなって過ごす日々が長くなると、実に多くの制約の中にいたのだと理解できます。ひも状のものをうっかり落としたりしないように気をつけたり、多くの植物の室内持ち込み前のチェック、急いでいる時の部屋への閉じ込めがないかの確認等本当に多いです。 少し面倒なことはありますけど、守護霊が裏でしてくれていることに比べたらお話にならない程度。己が主体だから他の生命のために動くのを苦にしてはならないです。

 

今は(束の間)ゆったり過ごすことができています😌

 

このままゆったり過ごすのが人生の価値(勝ち)を決めると思いますか? この世で過ごせる時間は短いから休んでいたらそれで終わりです。茶店で一休みしたら歩かないと宿には着かないのに夜になりますからね。

 

神仏の眷属が肉眼で見えない神仏よりは少し低い所の存在なら、肉眼で見えるペットは人の眷属です。神社で仕えたいとか境内社に自分も祀ってほしいと願う存在は多いのです。それら存在は基本的に拒絶されません。眷属希望を拒絶するのは人間くらいです。

 

眷属と書いたのは理由があって、高次元存在(神々)が仕える眷属の面倒をみているように、人は動物に言葉でなく与えねばならないものを多く持っているからです。

 

動物は人間ほど間違った自我の発露はありませんから、元々より仕組みに沿っていると言っていいと思います。人はそこから学んで明後日の方へ行きがちな歩みを修正できるようになっていますと言うよりは、そう期待されていると書いた方がより正確かもしれません。

 

私が見つけたのはぶっさいくな猫で、今のところ誰も必死で助ける気にならないらしい生きるに値しない命。でもそれは試行錯誤の末に神々が生み出した三次元生命の姿です。

 

生きるに値しない命の願いは人といたいそれだけ。仕組みを乱すのを悪と思わないどころか、乱すのを善と思う現生人類にはこれくらいのことが難しい😔 

 

一人が助けられる命には限りがあるので己にできることをしたらそれで充分です。私も猫一匹が限界です。問題は全家族の同意が必要ということ。ここが大変だ。

 

見えないのをいいことに、守護霊や神仏の信頼を裏切ることが多い人生です。見えるものの信頼は裏切らないことから始めましょう。三次元だからそこから(足元から)でいいと思います。

 

#貰わないのを悪とする記事ではありません。そこにも縁がありますので。向こうから来る縁もあり、こちらからの縁もありです。

 

追記

驚いたことに、私がもらいたいと思っていた猫がもらわれました😲 これから毎日人間にかわいがってもらえるのです。こんな嬉しいことがおこるとは😭

 

昔保護団体の譲渡会に遊びに行った時、まだ飼えないけど気になるので猫に会いに来たという人がいました。最初にUPした時にはわざとこうしたことは書きませんでしたが、目に見えない所で命のために動いている人はいるものです。これを簡単に一言でご縁と呼んですませています。

 

もらわれるから生きるに値するわけではないのはわざわざ書くまでもないこと。もらわれなかった猫達もあと一週間時間が残っています。この世での時間がそこで終わっても、あちらでお世話する方々にかわいがってもらえるようにお願いしようと思います🙏

 

追記2

お盆を前にバタバタっと貰われにくい成猫が決定しておっさん号泣😭 猫一匹自力で助けられないのかと悔し涙だったのに。世の中には捨てる神あれば拾う神ありがその文字通りの意味でいるのですね。

 

自力がダメなら自分の貯金を崩すしかないなと思って、それを使って神々にお願いしていました。いらない命などないと思う人へ流れていくといいなと思っています🙏

 

トライアル中の猫が決まってほしいです😊