ほわほわ神社生活

ほわほわ神社生活

神社が暮らしの中にあるおっさんのちょっとだけ変わった日常です。主に岡山県広島県の神社巡りをしています。神社巡りの記録や神社のことで思うことを書いています。

MENU

あなたはもう死んでいる?

ほとんどの人は赤ちゃんの頃から中身が変わらず器が止まる時まで過ごしています。が、ものには例外があって、おぎゃーと言った時の中の人はもう死んでいることもあります。

今の世の中、自殺(安楽死などというものは霊的な意味では存在しません)したい人が多いです。でも中身はもう器を離れている=死んでいるから自殺という望みは叶っているのかもしれません。

 

死にたいと言っている自我=人格プログラムは脳と連携しています。プログラムだけに器の中身(これは霊でも魂でも好きに解釈してください)が変わっても実行可能であれば、それまでと同様に動き続けます。継ぎ目はないのです。

 

自我という人格プログラムの機能には自分が動いている下にあるOSにあたる霊的な中身は認識できません。生まれて今まで自分が生き続けていると思っている自分=自我が全てという認識です。自我には自分を存在させているものが途中ですっと替わったことに気がつく力はないのです。

 

途中で替わるのはイレギュラーな形です。あまり多くはないことです。もう充分に目的を達した場合等に他者からの要望、あるいは元々最初からの予定で入れ替わります。

 

中身がないと器は三次元にあることができません(機能停止=死です)。中身があれば器はいわゆる寿命までは動き続けることが可能です。

 

器を離れた中身にとっては三次元的な意味では死んだことになります。それを知らずに死にたいと自我が特定の思考パターンをずっと繰り返しているとしたら笑えない話だと思います。

 

三次元(この世)はわからないからやることができたの世界です。これはわかる高次元ではできないことのひとつ。低次元=全て劣っているのではありません。その次元なりのことをきちんとしていくことをする。それが全てです。器はそのために用意された特別なものなのです。

 

その世界に形を占めておきながら利用しない。器はなぜあるのか。器をどうするのか。それで生きているか死んでいるかが決まるのだと私は思います。

 

GWはどうすごされましたか? 私は遠出で疲れきってしまって数日ごろごろしていました。今日からまた通常に戻ろうと思います。この記事は神社巡りで十数社たまってしまったことからの逃避行動です😅