ほわほわ神社生活

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神社が暮らしの中にあるおっさんのちょっとだけ変わった日常です。主に岡山県広島県の神社巡りをしています。神社巡りの記録や神社のことで思うことを書いています。

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現れたものをプログラム任せにする人生の責任

ネットを徘徊しているとそこらじゅうに落ちている”私の人生に責任をとれるのか(そのつもりで書いているのか)という悲しすぎる言葉。

 

人は皆そんな責任とるために生まれているわけがなく、己のまわりの狭い範囲に責任を持てばそれでいいのです。

#誹謗中傷は別です。

 

同じような段階の霊でないごちゃまぜにしているこの世での他者の発言は、己に与える影響があちらとは違うためにその分難しくもあり、同時に面白さもあるのです。

 

ですが、実際にはネットと暮らす今の人間には他者の言葉はじっくりと処理していけるような量ではなくなっています。

 

咀嚼して飲み込むには量が多すぎて難しい時は、飲み込めない分はとっておくか、保存できないのであればよく確認して捨てるしかない。

私は咀嚼できない(わからない)ものはいつも保留にします。この保留に使うのががらくた箱です。意味はゴミではなく、分類不能だから皆一緒にくらいになるでしょうか。

 

ここで話をクラシックカメラに変えます。製造されたのは軽く半世紀以上前で長く放置されたカメラ📷はまともにシャッターが切れない物が多いです。原因はオイル切れによる抵抗増大だったり、細かな摩耗粉やごみで動きが渋くなっていたり、無理な力が加わったことによる部品の変形や破損等様々です。

 

あるカメラの動きがおかしいので少し調べると、妙なぐらつきがあることに気がつきました。バラしていくと、以前バラされた形跡があって、ネジがひとつありません。軽く洗浄注油後にジャンクボックスに放り込んである無数のカメラの部品、ユニットから同じネジを探してそれを外し、修理中のカメラの部品を締め付けます。カメラは直り、シャッターが切れるようになりました。

#本当はシャッタースピードがちゃんとしているか確認するのですがここではこれで終わりにします。

 

カメラは例えで出しただけなので、人間の思考とかに置き換えてください。ジャンクボックスのカメラ部品はそのままでは使えないので保留した思考、課題等精神的霊的な言葉と問題です。

 

その人間の中で、霊的な捉え方を構築していく過程で欠けていたひとつの要素が他から補われた結果、全体がきちんと繋がりとして理解できたのです。

 

カメラ用ジャンクボックスに放り込まれた壊れたカメラや部品、ほぼゴミ? な欠片は己が手に入れたものもあれば、古いカメラが趣味と知った他者からこれあげると言われたものもあります。

 

「壊れているならゴミだ! 人に押し付けるなっ!」 と言ってつき返していたら、貴重な部品が手に入らず、軽い不調なカメラも動かないままに月日は流れていくことになっていたでしょう。

 

ここでタイトルに戻りますが、責任は基本的には全部己にあるのです。長々と書くのがめんどくさいので死んでから守護霊と答え合わせしてください。私に、あなたに信じさせる責任はないのでとりませんから。

 

私は己が不完全だとわかっているから、己を頂点に置くことは決してしません。私が全てと断言できるのは始まりの存在だけでしょうから。ただ、流れの中央には置きます。

 

他者の発言を単なる思考プログラムで快不快に分けて私凄いと喜んでいたり、即無視しますとかやっていたら、人生が一億万年あっても十年でも大差ない気がします。学び成長することが価値あることで、己とかいうホコリを守ることの価値は本人が思うほどはないでしょう。

他者の言葉を捨てるのが己を大切にしているとか思っている姿のなんと愚かなこと。他者が己に与えた材料を活かすも殺すも己次第。だから責任は己にしかない。他者には存在しない。崖から落ちたとしても。

 

私はほぼ毎日非常に不愉快なめにあうのですけど、それは過去の原因が今結果になったものではないのです。相手が酷いように見えても(感じても)こちらに理由(というよりも目的の方がより正解に近い)があることもある。それは新たに生じた(させた)ものだから。このことでは私に”非”は一欠けらもありません。でもそうしたこともある。この世は見えた感じたもので断じることができるほど浅くはない。

 

最後につけ加えますが、己の望みを押し殺して生きろと言っているのではありません。自分を大切には他者切り捨てとは別物です。

 

追記

他者から与えられた素材を組み立てて内側で形にするのが個人の仕事。組み方は一通りではなく、人によって異なることもある。やらねばならぬなら「おもしれえじゃねえか」で楽しんだ方が満足できるのではないか。

 

世の中には廃棄物(ゴミ)で芸術作品を作る人も多い。他者の言動が一見そう見えても、それを己の輝きへと変換できる力は与えられている。

 

書いているのはまとめるとこんな感じのことです。

 

でも皆が笑ってできないのもわかるのです。